2017年9月22日

 トランプ大統領が、自国や同盟国が脅かされるようなことがあったら、北朝鮮を「完全に壊滅」させると宣言し、話題になった。先ほど、それに対する北朝鮮の金正恩委員長の声明が出て、こちらも異例の手段をとるということだそうだ。 

 「完全に壊滅」って、過激な言葉だと感じた人が多いと思うが、そんなことはない。抑止力って、そういうものでしょ。

 以前、照屋寛徳さんが政府に抑止力とは何かを質問したことがある。それに対して、菅直人総理大臣の名前で出された答弁書は、「侵略を行えば耐え難い損害」を与えると相手に認識させるものだとしている。

 抑止力のことを肯定する人がよく口にするのは、これって、実際に武力を行使することなく相手に思いとどまらせるやり方だというものだ。こちらを強く見せかけるというか、実際に強大な軍事力を持つわけだが、それを使うことはないと。

 しかし、抑止力が効くためには、「実際には使わないんだよ」とは言えない。「本気で使うんだ」と相手に思わせないといけない。抑止力の理論からして、そういうやり方が必要になる。

 その結果、相手が屈してくれないと、こちらはどんどん過激化せざるをえない。ただ、過激化しているように見えても、「完全に壊滅させる」「耐え難い損害を与える」というのが抑止力の本質であることに変わりはない。トランプ発言は抑止力の普通の姿なのだ。

 壊滅するぞと言われて、すごすごと引き下がる国もあるだろうが、そういう国も含めて普通は反発するだろう。どこまでなら抑止として成功し、どこから先が抑止でなく挑発になってしまうのか、その線引きが難しいのだ。

 そこを軍事戦略としてどう転換するのか。それが防衛を考える人にとって不可欠だと思う。外交と防衛をどうバランスさせるのかと言ってもいい。そういう軍事戦略をとる国となら外交的な駆け引きも可能だと思わせる軍事戦略。

 選挙でそういう議論が出て来るとうれしいな。無理だろうけど。方や軍事と圧力だけ、方や外交だけという対立軸で闘われるんだろうな。

2017年9月21日

 安倍首相の国連演説を聞いて、笑ってしまいました。94年からの米朝枠組み合意の時も、21世紀に入ってからの6者協議の時も、北朝鮮は対話に応じるふりをして、実はウラで核・ミサイル開発に狂奔していたっていう演説、私がこのブログで書いたとおりです。

 「やはりこれで来たか」と思いました。自民党は総選挙でここを最大の争点にしていくと思われます。安倍さんにとっては、野党が新安保法制の廃止で結束してきたのを、北朝鮮問題を前に押し出すことで、新安保法制の必要性を説き、野党を批判し、分断してくるでしょう。九条加憲問題を押し出す上でも、北朝鮮で攻めていくことは不可欠でしょうし。

 安倍さんは、「だから対話じゃなくて圧力だ」ということになるわけです。これって、わかりやすいと思いますよね。私も一言で反論できません。

 ある方から、北朝鮮問題で本を書きたいと言って、草稿が送られてきました。だけど、米朝もダメで6者もダメだった理由は何か、そこを克服できる対話ってどういうものかが明確にならないものは出せないといって、お断りしました。アメリカも北朝鮮も中国も日本も韓国もそれでOKと心から言えるような和解案もないとダメです。希望的観測でなく現実的根拠をもって提示できないと。

 私の見聞が狭いからかもしれませんが、説得力ある和解案って、まだお目にかかったことがありません。ただ対話しろと言っているだけのように見えます。どなたか、そんな本を書いてくれたら、すぐに出しますけどね。

 そんなことを考えていたら、私宛に講演依頼がありました。タイトルは、「北朝鮮は危ないのか──地に足の着いた安保・外交政策を考える」ですって。意図は次のように説明されています。

 「北朝鮮の弾道ミサイル発射に対し、安倍政権が軍事的態勢を強める動きが強まっている。非軍事的な方法での外交努力が望ましいが、「現実的」なのか。国連、中国・韓国・米国など対北朝鮮への対応をどう考えるのか。市井の民は何を基盤に北朝鮮問題や東アジア外交を考えるべきか。ミサイル問題を報じるマスコミ報道をどう読み解くべきか。地に足の着いた安全保障論のための論点整理・情勢理解について学ぶ機会とする。」

 講演料も半端じゃないし、本格的に準備しなくちゃ。本も書いちゃおうかな。

2017年9月20日

 いま東京に向かう新幹線のなかです。本日は編集会議。いつの間にか編集部は、京都と東京がほぼ同数になってしまい、月に一回の会議はテレビ電話なんですが、たまに一堂に会します。その際、子育て世代の数が多い東京の編集部が京都に来るのは大変なので、会議は東京なんです。

 その他、いろんな方とお会いして、解散総選挙をめぐる情勢とか、いろいろ話し合います。月末の沖縄行きの準備もしなくちゃ。

 そして、もう一つの大きな仕事は、4回連続講座「広島の被爆と福島の被曝」の最終回。斎藤紀先生には毎回2時間の講演と1時間の質疑に付き合ってもらいましたが、今回は最後ということもあり、1時間延長します。泊まってもらって懇親会も遅くまでになるかな。参加ご希望の方はメールをください。

斉藤連続講座4回目

 斉藤先生に最初にお会いしたのは、3.11があった年の晩秋です。1年目の3.11の日に浜通りで被災者のためのイベントをやりたいと思い、福島の9条の会がマイクロバスを仕立てて行くというので、それに同乗させてもらうために福島市に行ったんです。浜通りに向かう前夜、9条の会の真木事務局長と飲んだんですけど、その場で主治医ということで紹介されたのが斉藤先生でした。

 最初の印象は、「この人、医者じゃなくて国際政治学者だね」ということでした。出発点は広島の被爆を突き詰めることだったんでしょうけど、その過程で核兵器をめぐる国際政治を奥深くまでつかんでおられたんですね。生半可なものではありませんでした。

 同時に、広島で被爆者の研究と治療を30年間やってきた経験をふまえ、福島の被災者に毎日向き合っておられて、そのお話が印象的でした。だから、福島を訪ねる度に先生にお会いして、本の執筆をずっとお願いしていたんです。だけど、福島の被曝をめぐる言論状況はなかなかに複雑で、被災者一人ひとりに向き合う臨床医として、本を書くとしたら一般論で済ますこともできず、ずっと断られ続けてきました。

 だけど昨年秋、このテーマはどうだろうと持ちかけ、それだったらとまず連続講座をすることになったんです。それが、「広島の被爆と福島の被曝──この両者は本質的に同じものか似て非なるものか」でした。

 これまで3回、ずっと広島の被爆のお話をされ、質疑でそれに関連する福島の被曝に言及されました。そして今回、このテーマの結論部分が明らかになります。本になるときに読めばいいやという考えもあるでしょうけど、是非、リアルな体験もお楽しみください。

2017年9月19日

 「解散総選挙」はいつも突然やってくるわけですが、明らかになってから投票日まで一か月しかないというのは、なかなか体験できるものではないですね。凝縮した体験ができそうです。

 焦点は、安倍政権への対抗軸が形成される可能性をどう広げるかでしょう。この点では、維新は橋下さんが抜けて失速しているし、日本ファーストはどこから見ても対抗軸という感じではないし、野党4党の動きがカギを握るのは間違いなし。というか、結局、民進党と共産党の2党の動向ですけど。

 前原さんが代表になっても、山尾さんの問題とかがあって、民進党はなかなか浮上してきません。安倍さんは、消費税値上げ分を教育に回すといって、民進党の存在意義をつぶしにかかっているし、民進党は消え去るという観測もあるようですが、そうはならないと思います。だって、民進党から日本ファーストに移る動きだって、国民が対抗軸を求めているという現実があるから、その反映なんですよね。だから対抗軸らしく振る舞えるかというところが決定的に大事です。

 前原さん、基本政策が違うところと政権選択の選挙で一緒にやれないと言っているでしょう。それ自体は正しいんですけど、でも、その基本政策として前原さんがあげたのは、自衛隊、日米安保、天皇制、消費税だったと思いますが、そこを突き詰めていくと、自民党と基本政策はほとんど同じなわけで、対抗軸になれないんです。

 だから、少しの違いを大きく見せることが大事で、新安保法制反対というのは、まさにそこに意味があったのだと思います。安全保障政策では、民進党と自民党は、基本は同じなんです。新安保法制を廃止しても、それ以前の自民党の政策に戻るだけだったんです。だけど、新安保法制での意見の違いを大きいように見せられたから、対抗軸になり得た。

 今度の総選挙でも、それに成功できるのかということが問われます。新安保法制は継続ですが、労働改革問題などを、どう大きく見せるのかです。

 それと、前原さんに求められるのは、候補者は自由、社民との3党で推薦するかたちにするにしても、共産党のメンツを立てることでしょう。現在進行形の堺市長選挙では、共産党は一方的に支援しているわけです。メンツを立ててもらっているから、まさに全力で一方的に支援しているのです。そういうかたちはありうるんです。

 その程度のこと、前原さんなら、簡単に考えつくと思うんですけどね。共闘しないと勝てないのは、双方がよく分かっているわけですから。

2017年9月15日

 本日は午前中は会社にいて、午後はお出かけ。一つは出版に関する相談に乗ること。それはすぐに終了した。

 もう一つは、ある季刊の総合雑誌の関係者会議。編集部は東京にあるのだが、時々関西に出てきて、協力者の会議が開かれるのである。トランプ政権、大学の実状、明治維新150年などさまざまな議論がされた。

 そのなかで自衛隊のことも少し話題に。「自衛隊の変貌」をテーマに特集がやれないかというのだが、その変貌の代表例の一つとしてあげられたのが、ある自衛隊基地に病院がつくられるというものだった。平和団体は「野戦病院だ、許せない!」と頑張っていることは、以前から承知している。

 でも、病院も建設してはダメだということになると、自衛隊の施設で建設を認めていいものは、おそらく一つもなるなるよね。もちろん、平和団体にはそれなりの論理はあるのだろうけれど(海外派兵の際のものだとか)、日本防衛で出動することを考えても、ちゃんとした病院機能は必要になるわけで、その機能を向上させることは真剣に考えるべきことだ。

 昔は、自衛隊って、二重の意味で、「すべてに反対していい」存在だったんだよね。一つは九条に反しているからということで、もう一つは対米従属の軍隊だということで。

 だけどいま、共産党も含めてすべての政党が、侵略の際は自衛隊に頑張ってもらうという立場に立っている。だから、それにふわさしい自衛隊論を構築しないとダメな時期ではないのだろうか。

 結局、そこの議論があまりないから、総論では自衛隊に頑張ってもらうと言いつつ、各論では一つも賛成しないということになってしまう。各論で賛成できることが一つもないということは、事実上、総論も反対だということにしかならないのではないだろうか。

 まあ、その会議でも聞かされたけど、こんなことを言っているから、私は嫌われるんだろうな。東京から来た人が、著名な政治学者の名前をあげて、「松竹さんのことを怒っている」と言っていた。

 ということを考えていたら、私が理事をしている京都平和委員会から、次の幹事会にはちゃんと出てくださいというメールがあった。そうだよね。まだ一度も出ていないし、真面目にやらなければと思って、「参加します」と返信した。真剣に議論してきますね。