2013年12月2日

 石破さんの「デモ=テロ}発言が、ずっと問題になっている。石破さんを嫌う人が多いのは知っているが、少なくともこれまでの彼の発言は、それなりに勉強したことのある人の発言であって、私自身は、わりと正確な発言をする人だと感じていた(評価は別にして)。

 だけど、今回の発言は、それとは大きく異なる。だから、その違いを生みだしたものに興味がある。

 テロって、現代の人間にはすぐに9.11が想起されるので、あれほどの重大な行為だと感じがちだが、もっと幅広い内容がある。何回か書いたことがあるけれど、二つの要素から成り立つ。

 一つは、行為の理由にかかわるものであって、政治的とか、民族的とか、宗教的とか、そういう理由でおこなわれる行為である。個人的な怨恨とかにもとづくものではない。もう一つは、行為の手段にかかわるものであって、無差別な殺傷行為などにより、人びとを恐怖に陥れることにより、目的を達成しようとするものだ。

 石破さん、勉強家だし、その定義はよく知っている。そして、その石破さんは、おそらく、デモの理由が政治的なところにある点で、まずテロの定義にあてはまると感じた。さらに、殺傷行為が必ずあることはテロの不可欠の要素ではなく、人びとが恐怖に陥る手段だったらいいのであるから(これは間違いない)、「ああ、自分の知っているテロの定義があてはまる」と直感したのだと思う。そしてブログにあわてて書いた。

 たしかに、デモって、「示威行動」と訳されるように、「威力」を示すわけである。「威嚇」という要素がある。それを「恐怖」と感じる人が出てくるかもしれない。

 だけど、デモって、民衆による意思表示である。民主主義の一環なのだ。

 そして、その意思表示の向かう先は、権力者である。あえて「恐怖」という言葉を使うとすれば、民衆が権力者に「恐怖」を感じさせることによって、政治的な目的を達成するのがデモだといえる。

 これは、テロとは全くことなる。テロというのは、あくまで、民衆に恐怖を与えることによって政治目的を達成するものだからだ。

 で、結局何が言いたいかというと、石破さんが「恐怖」を感じたということは、デモはかなり成功しているということだ。権力者がそれを「テロ」だと発言するほどとりみだすまでになっているのだから。

 ということで、秘密保護法をめぐる闘いは、かつてない規模と質で発展していることだと思う。確信をもって前に進みたい。