2013年12月9日

 秘密保護法が可決された翌日の夜、大阪の門真市の九条の会に呼ばれて講演した。テーマは、以前から決まっていた集団的自衛権の問題だったが、参加者の関心は、必死で闘っていた秘密保護法にあったと思う。

 司会者の方は、運動の広がりに確信をもったことを強調しておられた。実際、この講演会、闘いで疲れていただろうに、主催者の予想を上回る方が参加し、あわてて椅子を追加していたようだ。一方、主催者挨拶では、日本の戦後史上の汚点だということが強調されていた。実際、運動の広がりというものと、それにもかかわらず可決させられたという問題を、どう捉えるのかが大事だと思う。

 今後の運動の展望という角度からみれば、成果はあった。私はこのブログで、「改憲の『布石』」という記事を書き、安倍さんがみんなや維新を取り込んだ改憲連合へ布石を打っていることを警告していたが、運動の高まりのなかであのような結末に終わったことは、そう簡単に改憲に向かうことはできないということは示せたと思う。

 問題は、それでも衆参で多数を占める勢力が、多数で強行するぞという実績がつくられたことだ。今回、国民世論は、かつてなく広がったことは疑いない。日が経つにつれ高まっていった。世論調査の結果もそうだったけど、かなりの多数派を形成しているという実感もあった。だけど、与党を断念に追い詰めるには至らなかった。

 おそらく、与党は自信を深めただろう。集団的自衛権の問題も、当初は年内に閣議で解釈改憲して来年に安全保障基本法という段取りが遅れていて、それは集団的自衛権に慎重な世論の反映であると言われていたが、たとえ世論がどうあろうとも強行するし、できるというのが、かれらにとっても教訓になると思われる。

 なぜなのだろうか。いや、まあ、ただたんに、与党の議席が圧倒的だということだと言ってしまうこともできる。だけど、それ以上に大事なのは、じゃあ世論がこれだけ広がっていたとしても、次の選挙のことを考えると、与党は自信満々になるのだと思う。

 自公にしてみれば、どんなに世論が反発しても、政権を脅かすような存在がどこにもないのだ。維新やみんなは与党入りをうかがっているだけだ。民主党は大失敗の総括もできず、国民から見放されたままだ。共産党や社民党は、一点での共闘は広げているけれども、次の選挙における政権共闘を視野にいれた動きはしていない。

 だから、自公は、安心していられる。世論の反対が広がっても、次の選挙で、自分たちに代わって、国民が「この党に次の政権を」を思える勢力が見えないから、結局は自分たちが政権を維持できると確信しているのだと思う。

 これは、国民世論と政権構想の乖離とでもいうべきだろうか。一点での共闘は、たしかにかつてなく広がりがある。その課題も今回の秘密保護法にくわえ、原発、TPP、ブラック企業、普天間基地、護憲と多様である。だから、その一点共闘をベースにして政権共闘に向かっていけるなら、自然と次の選挙の展望が見えてくるはずなのだ。

 ところが、政権共闘といったとたん、たとえば、現実に国民のなかで問題になっていない日米安保とかが出てくるわけだ。そんな一点共闘はどこにもないから、選挙でも共闘は実現しないということになる。

 だけど、政権共闘って、本当にそうなのだろうか。そうかもしれないけれど、一点共闘をそのまま発展させた政権共闘って、あり得るのではないだろうか。私としては、来年、その問題に果敢に挑戦したいと考えている。