2013年12月6日

 テロの定義があいまいなことの問題点は、それにかかわることを犯罪として処罰する際、特別に浮き彫りになる。今回の特定秘密保護法案も同じだ。

 今回の法案では、外交や防衛に関する事項とならんでテロに関する情報を秘匿しようとしている。しかし、テロを一般的に定義して、それに関する情報取得を包括的に犯罪にすることが適切なのか。あるいは可能なのか。

 たとえば、現在のわれわれには、9.11の衝撃が大きいから、テロと言われれば、そういう大規模なものが頭に浮かぶ。しかし、この連載で書いてきたように、テロには大規模なものもあれば小規模のものもある。「殺傷」や「破壊」を伴わないものもある。

 たとえ「殺傷」を伴う場合でも、一人とか二人を対象にすることも多い。昔、国家の要人に対するテロが多かったが、そういう種類のものである。

 これらは犯罪には違いないが、じゃあ、そういうテロではなくても、一人とか二人を殺害するような犯罪は日々どこかで起きている。犯罪としては、テロであれ普通犯罪であれ、殺害の規模は同じなのだ。それなのに、そこからテロだけを取り出して、特別に重大な犯罪だとする根拠はどこにあるのだろうか。

 テロの場合だと、奪われた命の重みが増すということなのか。そういうことはないだろう。命の重みは平等のはずである。国家の要人を殺害すれば刑期が増すということもない。だから、国によっては、テロを裁く特別な法律は存在しないところも多い。殺人罪などで裁けるからだ。

 では何が違うのか。それは、テロが政治的な性格を帯びていることにある。何らかの政治目的があって、その目的のためにテロという手段に訴えるところに、普通犯罪との違いがあるわけだ。

 ということは、テロだけを取り出して特別な重みをもって裁こうとする今回の法案は、「殺傷」「破壊」の規模ではなく、テロの政治的な性格を問題にしていることになる。つまり、犯罪としては同じ一人の殺人であっても、現在の政治体制とか政府の政策とかを批判しておこなわれる場合は、特別な重さをもって裁くということだ。そういう見地にたたなければ、今回の法案のような仕組みにはなっていかない。

 そして、そういう見地にたっていると、この法案に反対するデモとか、原発反対のデモとかが、特別な重みをもつ犯罪に見えてくるのだろう。石破さんの発言は、やはり本音なのだと思う。「殺傷」「破壊」がなくても、人びとに「恐怖」を与えればテロだと認定する考え方もあるのだから、デモがテロとして取り締まられる可能性は、この法案につきまとっていると言える。(続)