2013年12月3日

 昨日は東京へ。青山で辻井さんの弔問の会があるということで、この間、何回もお世話になった秘書の方から連絡があり、かけつけた。そこで辻井さんの遺影を見ながら、また思い出していた。

 前回の記事で、私が本を依頼するきっかけとなった言葉を紹介した。「理論的には正しくても、相手の心に届かなかったり、相手を傷つける言葉がある」「必要なのは敵を味方にする言葉だ」というものだ。

 私がこの言葉を最初に見たのは、おそらく「民医連新聞」だったと思う。民医連の総会か何かに呼ばれ、九条の話をされて、そのなかにこの言葉があったのだ。

 だから私は、本の作成過程で真意を確かめるまで、この言葉は左翼に向けられたものだとばかり思っていた。もちろん、それは間違いではなかったのだが、辻井さんによれば、これは日本の知識人全体に向けた言葉なのだといいうことだった。『心をつなぐ左翼の言葉』のなかに、以下のような記述がある。

 「世の中には『知の所有者』たちがいる。いわゆる知識人ですね。彼らのなかには、共産主義の人もいるし、いわゆる社会民主主義の人もいる。保守主義者もいる。つまり、いろんなイデオロギーや世界観を持っていることでしょう。ところが、ぼくには、彼らの『知』というものが、自分の場合も含めて『大衆の言葉』になっていないんじゃないかという疑問がある」 

 なぜ「大衆の言葉」にならないのか。辻井さんは、その点にも言及している。

 「その原因のおおもとには、『知の所有者』と呼ばれる者たちの言葉が、彼ら自身の感性と一体になっていないことがあると思う。感性を通過した、自立した言葉じゃないからだろう」

 そう。われわれの言葉が社会科学的な意味で正しくても、それだけでは通用しない、届かないという指摘である。人びとが日常の暮らしで感じること、思うことにピタッとくるようなところを通過したものでないと、正しくても心に響いてこないということだ。

 これって、本当に大切なことだと思う。日々、痛感するのだ。最近では、このブログでも書いたけど、浅田次郎の『終わらざる夏』を読んだときだった。

 千島(北方領土)の問題をめぐっては、社会科学的には千島全面返還が正しい。だけど、人びとの心のなかに分け入ると、北千島と南千島には大きな隔たりがある。南にはたくさんの日本人が住んでいて、そこを追いだされたわけだから、郷愁というものがある。南だけでも帰してほしいという言葉は、そのままでも感性を通過した言葉になるのだ。

 しかし、北千島は異なる。社会科学的には返還すべきだという認識があっても、感性と一体になった言葉を誰も発してこなかったので、次第に届かない言葉になってしまったのである。そこを浅田次郎があざやかな言葉で描きだした。美しい花が咲き乱れる島、日本人が命をかけて開拓した島、ロシア人の心にとっても許されない占領などの視点で、この問題を捉えさせたのだ。

 浅田次郎の本を読みながら、辻井さんの言葉を思い出していた。知性と感性が統一した言葉を発することができるかどうかは、日本人全体にとって大きな問題だろうけど、私としては、左翼がそれを深めなければならないと思う。出版社として、それに貢献することができればうれしいなと思いながら、弔問の会場をあとにした。

 辻井さん、まだまだあなたの言葉の水準に達することはできないけれど、その言葉を忘れずに精進します。安からにおやすみください。本当にありがとうございました。