2013年12月25日

 日本の武器輸出三原則は、たんに立派な理念だというのではなく、現実政治において大事な役割を果たしてきた。また、韓国軍に弾薬を提供するにいたった経緯や動機については、日本政府の公式の説明と違って不純なものが見え隠れしている。

 だから、反対するのは当然だと考えている。だけど、そこにだけ議論が集中するのは、問題の本質をめぐる議論を避けてしまうことになり、あまり感心しない。

 いま南スーダンでは、反政府軍が突如として攻勢をつよめ、大規模な内戦の危機が訪れている。避難民が大量に発生し、自衛隊駐屯地にも押し寄せてきて、自衛隊はその保護に専念せざるをえない状態だという。

 韓国軍の駐屯地には1万5千もの避難民が暮らしているそうだが、その駐屯地周辺は政府軍と反政府軍の対立が特別に深刻な場所だということだ。民族同士の争いだから、特定の駐屯地には特定の民族が固まって避難していて、それを別の民族が敵視し、対立している状態だ。それを保護する韓国軍自体は、わずか700名。

 つまり、事態の推移次第では、駐屯地に武装勢力が押し寄せてきて、避難民に対する武力攻撃が開始されかねない事態になっているということだ。

 だから、いま必要なのは、その事態をどうとらえ、どう打開するのかという議論である。国連が、両派に話し合いを求めると同時に、PKO部隊の増派を決めたのは、そういう現実をふまえたものである。話し合いでの解決が必要だけど、実際に戦闘が開始されたとき、保護している住民をどうするのか、その回答が必要なのだ。いくつもの考え方、やり方がある。

 たとえば、いま日本政府部内で浮上しているように、自衛隊を撤退させるという案。そうなれば、保護している住民を守るために武器を使うという選択肢もなくなる。

 あるいは、撤退はしないが、保護している住民が襲撃されても見過ごすという案。これは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるスレブレニツァの虐殺として知られるものと同じで、8000人以上が虐殺されるのを前にして、国連軍が何もしなかったというものだ。

 さらに、自衛隊は武器を使用しないが、武器使用任務で派遣された他国の軍隊に保護を委ねるという案もある。その他国が使う武器・弾薬が足りないとき、それを自衛隊が提供するかどうかという問題も生じる。

 また、政府軍と反政府軍の間に丸腰の自衛隊が入っていって、両者に紛争をやめろと説得するという案もある。国連の停戦監視要員がよくやるやり方であって、危険な任務だが、日本はアフリカでは、植民地支配の過去もなく、どの宗教や民族に加担しているわけでもなく、信頼を得ることは可能かもしれない。だけど、そういう任務を与える法律は、いま日本には存在しない。

 もちろん、外交努力だけをやるという案もある。そういうことも含め、いま考えるべきは、南スーダン紛争の解決策と住民の保護策である。それがないまま武器輸出三原則だけを議論するのは、どうも違和感がぬぐえない。大事なことを忘れた議論だと思う。