2013年12月4日

 秘密保護法案も緊迫しているので、異例だけど、1日で2回目の記事を。

 テロの語源は、フランス革命時の「恐怖政治(テルール)」だといわれている。ここには、テロの特質がそれなりに出ている。ギロチンとかで処刑するさまを人びとに見せることによって、同じような目に遭うかもしれないという恐怖感を国民の中で醸成し、ある種の政治目的を達成しようとするわけだ。

 石破発言問題であわてた政府は、テロとは、秘密保護法案で明記しているように「殺傷」とか「破壊」を意味するのだと弁解している。有名になったため必要ないかもしれないが、念のため法案にあるテロの定義を引用すると、次のようになっている。

 「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要し、または社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」

 誰が見ても、この文章からは、政治上の主義を国家に強要する行為をテロだと定義していると思えるのだが、まあ、政府のいうようにテロとは「破壊」や「殺傷」に限定されているとすれば、それは国際的な議論から見て正しいのか。これが難しいのだ。

 たとえば、戦後のテロで初期に問題になったのは、いわゆるハイジャックである。飛行機を乗っ取り、乗客を人質にして、ある種の政治的な要求を公にし、それを実現しようとするものだ。昨日、テロ関連条約が13本あると書いたけれど、最初の時期はこの種のものばかりだった(「航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約」63年、「航空機の不法な奪取の防止に関する条約」70年、「民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」71年など)。

 ハイジャックは「殺傷」や「破壊」そのものではない。「オレの言うことを聞かないと、殺傷するぞ、破壊するぞ」という「威嚇」ではあるけれど。

 ここにもテロの特質があらわれている。何かといえば、テロというのは、あくまで何か達成したい政治目的があるわけだ。政治犯を釈放しろとか、アメリカ軍は撤退しろとかその他その他。そして、テロをおこなう人にとっては、その政治目的の達成が重要なのであって、「殺傷」や「破壊」自体は目的ではない。ただの手段だ。それなのに、実際に「殺傷」や「破壊」をおこなってしまえば、目的達成の手段まで失ってしまう。世論も反発し、支持を得られなくなる。

 だから、そういう点では、「殺傷」や「破壊」をしないことがテロ成功の条件みたいな面もある。秘密保護法案が、「殺傷」や「破壊」だけをテロだと定義しているのだとすれば、完全な間違いである。テロのことをよく知らない人が書いたものだろう。こんな人が書いた法律によって逮捕されたりするのだから、たまったものではない。(続)

2013年12月4日

 普通の時期はこんなタイトルの記事を書いても、あまり注目されない。だけど、いまだったらと思って、まとまらないかもしれないけれど書いておく。大事なことだと思うから。

 暴力を使わない平和的なデモをテロと定義するのは、あまりにも非常識で、石破さんの誤りは明白である。だけど、じゃあテロとは何かを定義するとなると、そう簡単ではないのも事実である。

 たとえば国連においては、戦後一貫して、テロを包括的に禁止する条約の議論がされていて、これまでテロ関連で13本の条約ができたが、部分的なものにとどまっている。めざされている包括的テロ禁止条約はできていない。なぜかといえば、最大の理由は、テロの定義で合意できないからである。

 どこで合意できないのか。問題は具体的である。パレスチナ人民による実力行使を含む闘争をテロと定義するのかしないのかということだ。

 みなさんはどう考えておられるだろうか。あれはテロだろうか(裁かれるべきものか)? あるいは正当な闘いだろうか(裁くなんてあり得ないか)?

 ある人は、イスラエルによる占領こそが裁かれるべきであって、パレスチナの闘争は正当だと考えるだろう。だけど、じゃあ、古い話になるけれども、テルアビブ空港での乱射事件(72年)などのように、無実の人びとを殺傷しても許されるのかと問われれば、肯定する人は多くないと思う。

 他方、ある人は、暴力行為なら当然それはテロだろうと考えるだろう。だけど、たとえば、テロ関連13条約のひとつである人質行為防止条約(79年)は、民族解放団体がすすめる武力紛争の過程で生じた人質の奪取については、条約の適用外であることを明記している。パレスチナ人民による人質の奪取には、この条約が適用されないということだ。それを許すという規定ではないけれども、わざわざ適用外としている事実は重い。

 国際社会も揺れているのである。定義できないのだ。

 特定秘密保護法は、国際社会も定義できないものを堂々と定義し、それにかかわる情報を探るものを処罰するわけである。定義できないわけだから、政府による恣意的な解釈がまかり通ることは明らかだ。石破発言は、そのことを浮き彫りにしたのである。(続)