2013年12月10日

 テロの定義について、もっといろいろ書くべきことはあるが、秘密保護法案とのかかわりで論じてきたので、とりあえず今回で終了する。また、何かの機会に、まとまって書きたい。

 成立した法律におけるテロの定義にかかわることで、もっとも重大だと思うことは何か。それは、刑法犯としてのテロが定義されないまま、秘密保護法だけで定義されていることだ。

 日本には、テロを裁く法律がない。だから、裁くべきテロ行為というものが、法律で定義されていない。

 もちろん、テロで人を殺傷したり、モノを壊したりすれば、当然のこととして裁かれる。だけどそれは、「殺人罪」であったり「器物損壊罪」で裁かれるわけだ。「テロ罪」で裁かれるわけではない。

 刑法犯として裁こうと思えば、それなりに厳格な定義が求められる。だって、その犯罪を犯した人に刑を科すわけだから、当然である。分野は異なるが、飲酒運転過失致死法などで、刑期を何年にするかがずっと議論されたりもしているが、そういう慎重さが必要なのだ。

 ところが今回、何の議論もされないまま、テロの定義ができることとなった。テロのことを憂えて、まじめに取り締まろうとか考えていれば、まず刑法の方でやるべきなのに、そうはならなかった。テロに対する姿勢がふまじめだ。

 なぜそんなことになるかといえば、テロに対する姿勢から生まれたものではないからだ。アメリカから言われて、何の考慮もしないまま、取り入れたからだ。

 いうまでもなく、いまのアメリカにとっては、自分が標的となっているテロに関する情報を集め、管理することが最大の関心事である。そのために各国から情報を集めている。各国の政府が情報を隠しているのではないかと疑って、ドイツのメルケルさんなんかの携帯電話を盗聴してまで、テロ情報を収集している。

 そういうアメリカの要請に応えるということが、今回の法律の最大の動機なのだ。秘匿すべき情報かどうかを判断するのは、おそらくアメリカということになるだろう。だから、定義はあいまいな方がいい。アメリカがどんな求めをしてくるか分からないから、あいまいじゃないと困るのだ。

 そして、あいまいなために、日本政府が世論を弾圧したいと思った際にも、そのあいまいさが活用できる余地が残る。法案の定義を見て、石破さんのように考える輩が出てくるわけである。

 やはり、この法律は廃止するしかない。そのためには、3年後のダブル選挙で、この課題をふくむいくつかの点で一致する勢力が、自公にかわる多数派を獲得しなければならない。どうすれば、そこに到達するのだろうか。模索は続く。