2013年12月12日

 山崎豊子さんが亡くなって、書店ではセールをしている。少しは読んだつもりになっていたが、並んだものを見ると、初期のものは全然手をだしていないし、有名なもののなかにも未読があることがわかる。

 その一つが『不毛地帯』だ。瀬島龍三(本のなかでは壱岐正)をモデルしたこの本。何といっても、瀬島は戦前の大本営参謀だし、私が政治に目覚めるころに大問題になったロッキード事件で暗躍したわけだし、あまり食指が動かなかったのだ。

 だけど、名作の誉れが高いし、この機会を逃すとずっと読まないだろうと思って、いま全5巻のうち2巻が終わったところ。いや、読んで良かった。

 第1巻の中心は、シベリア抑留時代である。抑留者の手記はたくさん出ているが、山崎さんの筆力の成果で、この本はそのすさまじさがリアルに伝わってくる。まあ、私が感想を書いても伝わらないから、書かないけどね。

 ふつうの抑留者の手記だってリアルだが、瀬島という大幹部ということで、収容所だけでなく牢獄とかも体験しているし、抑留の全体像も視野に入れた記述になっている。そのため、シベリア抑留を体系的に把握することができるのが、この本の特徴だと感じる。

 それにしても、この本によると、当時のソ連では、3500万人ともいわれる囚人が、シベリアの開発をやってきたわけだ。1946年の人口が1億7800万人くらいだから、おそらく労働人口の4分の1くらいが囚人だったわけだ。

 そんなことをして国づくりをしているようなところを、しかもシベリア抑留の体験を通じて、そういう国だということが分かっていたのに、ずっと社会主義だとみなしてきたわけである(社会主義に反する重大なことをやっているという認識があったとはいえ)。二度と同じ誤りを繰り返してはならないと感じた。

 2巻目は、ロッキード事件にかかわる部分。伊藤忠商事(本では近畿商事)に入った瀬島が力をふるう場面が描かれる。ここは、小説としては面白いが、やはり実際の事件の経過というものを見ているので、瀬島の苦悩が描かれても、「ホントかな」と思いながら読んでしまって、気持ちが小説に入っていかない。瀬島と言えば大物という捉え方をされるけれど、小説にするにあたってはそういう造形も必要なわけで、つくられた造形が実際の人物とは異なるってことは当然あるだろうなと感じる。

 ただ、この部分の最後に、責任をとって辞職しようとする瀬島を、近畿商事の社長が引き留めるところがある。自殺した親友の弔い合戦をやるべきだと社長が言うのだが、それに対して瀬島はこういうのだ。

 「お言葉ではありますが、軍では報復のための作戦は理性を欠き、失敗すると厳しく諫められております」

 これは大事なことば。アメリカのアフガン戦争にもあてはまる。ということも含め、参謀経験者としての知恵みたいなものは、この本でいろいろ学べるとは感じた。

 しかし、そういう言葉を吐いて辞職するのかなと思わせておいて(実際に瀬島は伊藤忠の社長にまで上り詰めるので、そうならないことは誰もが知っている)、次のページでは常務取締役になった瀬島が描かれる。このあたりは、小説としてもイマイチかな。