2017年7月31日

 会社のメルマガへの寄稿です。弊社のサイトからはすでに購入できます。(メルマガに書き忘れましたが、この国連会議に参加した志位和夫氏が撮影した写真を特別にご提供いただいたので、裏表紙に使用しています。ありがとうございました)

 この本は、今後の原水禁運動、平和運動にとって決定的に大事になるでしょう。超オススメです。

 核兵器禁止条約が採択されそうだって、いつ頃お知りになりましたか。急転直下という感想を持っておられる方がほとんどだと思います。私もそうです。

 だって、1995年のNPT(核不拡散条約)再検討会議以来、条約にある「核軍縮・廃絶」を達成しようと、日本の運動は頑張ってきました。一度なんか、「核廃絶の明確な約束」に核保有国までが同意して、期待が高まったこともありました。その約束では廃絶の期限が明確でなかったので、次の再検討会議ではそれを明確にさせようと、日本からたくさんの代表団がニューヨークを訪ねたりしました。だけど、それが裏切られたわけです。2015年の再検討会議など、何の文書も採択できずに終わりました。多くの方が、被爆者が生きている内に核廃絶のメドをつけたいと努力してきたわけで、先行きが見通せなくなった人も少なくなかったでしょう。

 だけど、まさに2015年の会議で、核保有国が邪魔をして、何の合意も得られなかったことにより、国際社会の体制は腹をくくったんですね。核保有国の同意を得ようとすると、何も先に進まない。それなら、実際に核兵器の削減、廃絶に踏みだすプロセスを決めるのではなく、まず核兵器は違法だということだけを決めようと覚悟を固めたわけです。核兵器を削減するなら核保有国の同意がないと無意味ですが、それが違法だと決めるだけなら核保有国の同意はいらないですよね。それに、違法だと決まれば、それを力にして核保有国を追い詰めていけると。

 2015年の会議の結果、そうなったわけですから、多くの人にとって突然だったことは当然なんです。でも、2015年の会議で核保有国が邪魔して文書が合意できなかったのは、NPTの文脈でいえば1995年以来、そしてもっと根源的に言えば日本で原水爆禁止運動が開始されて以来、ずっとがんばってきた人たちが核保有国を追い詰めて、このまま文書を採択すると核軍縮に手をつけざるを得なくなったので、それよりも文書を採択せずに批判される道を選んだということでしょう。運動の成果なんです。

 その運動にはいろいろな潮流が合流してきました。最後の局面で加わったのは、オーストリアをはじめ、「核兵器の非人道性」を問題にする国々でした。誰が考えても非人道的な兵器ですから、「それを認めるか」「認めるなら禁止することに合意せよ」って迫っていったわけですね。日本政府は、核関連の決議には留保することが多かったんですが、さすがに「非人道性」を問題にする決議には賛成せざるを得なかった(結局、条約の会議には参加しませんでしたが)。

 でも、国際社会では「非人道性」は新しい流れ、新しい主張だと思われているわけですが、日本的にはそうではないですよね。日本の被爆者そして原水禁運動が「被爆の実相」を広げることを重視してきたのは、まさにそのことによって「非人道性」が浮き彫りになるからです。国連の会議で被爆者が正式に演説し、条約の前文に「ヒバクシャ」の文字が入ったのも当然だと思います。

 そして、この本の著者が、原水爆禁止世界大会で起草委員長を務めている冨田宏治さん(関西学院大学教授・政治思想)です。学生時代から原水禁運動に参加し、1995年以来の国際的な流れには直接に関わってきた方ですから、まさにこの問題の第一人者です。原水禁大会で海外代表と議論して、「宣言」を起草する仕事をしておられるわけですが、その海外代表のなかに、核兵器禁止条約に関わっている方が含まれているわけです。

 7月7日に採択された条約に関する本が8月6日に発売されるというのは、一見離れ業のようですが、それが可能になったのも、その冨田さんが書かれているからです。しばらく、類書は出てこないでしょうし、夏以降、この条約を学んで日本でも批准させようというのが運動の基本方向になるでしょうから、必須の本になります。

 もちろん、条約の正文(英語)と日本語訳の対照も付いています。いろんな訳が出回っていますが、それらの中には国連憲章で武力行使をrefrainするとなっているところを「控える」と訳しているものもあったり(公式訳は「慎む」です)、翻訳の水準もピカイチです。

 是非、お買い求めください。

2017年7月29日

 昨日、稲田さんの辞任にあたって産経新聞デジタルから論評を求められ、10時50分頃の辞任会見を見て、あわてて以下のものを書きました。ようやく掲載されたみたいなので、ここでもアップします。タイトルは違っていますし、文章も少し違います(校閲が入っているので)。

 間近に迫った内閣改造も待てないほど安倍内閣は追い込まれていた──そう印象づける稲田氏の辞任である。実際、防衛省の事務方トップと陸上自衛隊のトップが責任をとるのに、ことの真相はどうあれ防衛大臣だけが辞任しないで済むとなれば、その衝撃は計り知れないほど大きかっただろう。

 この欄に私の「自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ」という論考が掲載されたのが3月末。稲田氏がこの時点で辞任していたら、安倍内閣の傷はこれほどのものにならなかったはずだ。

 何よりも、東京都議選で自民党候補を応援する場での「自衛隊としてお願いする」発言(6月27日)は、稲田氏の防衛大臣としての資質を大きく疑わせるものだった。自衛隊は、過去に違憲判決もあったことなどから、どうすれば国民に支持されるのかを探ってきた。政治的な争いから身を引いた場に自分を置くことも、その一環であった。稲田氏の発言は、本人が自覚していたかどうかは別にして、自衛隊は自民党のものだとする立場からのものであり、自衛隊が模索してきたものとは真逆だった。言葉は悪いが、中国人民解放軍が共産党の軍隊だとされているのと同じなのである。

 これは、安倍首相が最大の目標と位置づける改憲に深刻な影響を与える性格の問題だけに、その時点で首相はもっと敏感にならなければいけなかった。安倍首相は5月3日、憲法9条の1項2項はそのまま残して、自衛隊の存在を別項で位置づけるという加憲案を提示した。これに対する評価は立場によりマチマチだが、首相の言明によると、憲法解釈は変えないで自衛隊の合憲性を明確にするものだとされ、当初の世論調査では支持が高かった。9条を残すことで護憲派に配慮し、国民の支持が高い自衛隊を明記するというわけだから、反対するのは簡単ではないのである。

 しかし、この案が多数の支持を得るのが可能になるのも、自衛隊の政治的中立性が保たれているという安心感が国民のなかに存在してこそである。河野統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」と発言し、自衛官のそういう気持ちは私もよく理解できるのだが、政治的に深刻な争いになっている問題で、一方の側だけに加担するというのは、自衛隊の基本的な性格に関わる問題であった。

 「自衛隊は自民党の軍隊」という前提に立った稲田氏の発言の衝撃度は、河野氏の発言の比ではなかった。現在の自衛隊について憲法上の位置づけを明確にするだけということだったのに、その自衛隊はかつてのような国民の支持を模索する自衛隊ではなく、特定党派の自衛隊というのだから、国民は皮膚感覚で加憲案にうさんくささを感じたのではないか。安倍内閣の支持率とともに加憲案への支持も低下しているのはうなずける。

 稲田氏辞任の直接のきっかけとなった南スーダンの「日報」問題も、同じ見地で捉えることが可能だ。加憲により明文で位置づけられることになる自衛隊を政治的争点にしてしまったということである。

 もともと昨年7月のジャーナリストの開示請求に対して、「(陸上自衛隊が)廃棄しており不存在」だから公開できないと答えたことは、自衛隊の隠ぺい体質をうかがわせるものである。しかし、今年2月になって、その日報は統合幕僚監部に保管されていることが分かり、公開されたのである(陸自にも保管されていたことも分かった)。ところが、公開されたにもかかわらず、一連の事態の推移のなかで、自衛隊の隠ぺい体質と政治化が現実以上に国民の認識になったように思われる。

 そうなったのは、陸上自衛隊に対する特別監察の過程で、稲田氏と自衛隊のあいだに確執が存在しているように見えたからである。稲田氏は一貫して、日報の存在は報告されなかったし、隠ぺいを了承したこともないと発言している。特別監察の結果も、稲田氏が参加する会議で日報の存在について出席者から発言があった可能性は否定できないとしつつ、非公表という方針の了承を求める報告があったり、それを稲田氏が了承した事実はなかったとした。稲田氏の発言と異なるのは、会議で発言があった可能性を認めただけである。

 真相は分からない。ただ、少なくとも稲田氏の発言がもたらしたものは、自分は報告があるなら公開せよという立場なのに、自衛隊からの報告はなかったという印象である。自衛隊の隠ぺい体質を浮き彫りにする役割を果たしたわけだ。

 これに対して、稲田氏には報告したとの暴露が、おそらく自衛隊側から相次ぐことになる。自分たちだけが悪者にされてはたまらないからだろうとの観測があり、同情もされているが、一方、「政治に楯突く自衛隊」というイメージがふくれあがっているのも事実だ。「クーデターだ」「2.26の再来だ」と極端なことを言う人も出ている。加計学園をめぐる総理官邸の役割をめぐって文科省から内部文書が暴露されると歓迎する人が、自衛隊が同じことをすると危険視するわけである。

 自衛隊は今回、別に武力を振りかざしているわけではない。言論を行使する枠内のことである。しかし、自衛隊は一貫して政治への関与を慎んできただけに、少しでも関与しようとすると、必要以上に警戒されるわけである。

 このままでは、憲法改正問題は、政治化した自衛隊、自民党の軍隊を憲法に明記するのかという問題になってきかねなかった。ところが、最後まで稲田氏をかばい続けた安倍首相には、そういう認識はなかったようである。稲田氏を個人的にかわいがるあまり、信念を実現するために必要なことまで見えなくなっているのではないか。護憲派の私としては、それが稲田氏の最大の「功績」である。

2017年7月27日

 毎日新聞が「揺らぐ『一強』」というシリーズをやっていて、政界の実力者にインタビューをしている。いろんな見方があっておもしろい。

 その3回目の民進党の前原さんが登場しているが、「民進は原点に戻れ」の見解に賛成である。何が原点かについて認識の違いはあるかもしれないが、私としては「保守リベラル」が原点だと感じる。

 民主党が政権を奪取したのは、同じ保守政治の枠内でも、そこに自民党との対決軸が存在するように見えたからだ。安保条約も自衛隊も堅持することを明確にしつつ、しかし辺野古は県外移設しようとした。大企業をどう位置づけるかで共産党とは対極にあったが、それでも「コンクリートから人へ」を打ち出した(建設業界からは批判があったそうだが)。

 前原さんは、このインタビューで、次のように言った上で、「原点に戻れ」と述べている。

 「民進党は次期衆院選の選挙互助会になっている。共産党と協力するのが前提で、共産党の反対することは遠慮する。憲法の議論もやらない。共産党の下請け機関みたいになってしまって、野党第1党の矜持(きょうじ)はない。」

 まあ、「下請け機関」というのは協力している間柄からして言い過ぎだと思うが、言いたいことはよくわかる。当面の選挙で野党の一致を成し遂げようとすると、どうしても共産党との違いを打ち出すことにならない。一致している範囲が政策となる。そうなると、民進党はどんな政党なのかが見えてこなくなる。

 民進党は共産党と違う保守リベラル政党であることが大事だ。前原さんが言うように、憲法をどうするかは議論すればいい。ヨーロッパの社民党のように、税金をあげてでも弱者に配分するという路線をとればいい。保守政治の枠内であっても、相手が安倍政権なのだから、十分に対立軸となるものは示せるはずだ。安全保障政策でも安倍さんと同じだということにはならないだろう。

 そうやって共産党とはこう違うというところを見せつつ、当面の一致点はどこにあるのかを探ればいいのだ。政策的な一致というのは、政策が大きく異なる政党同士が、どう譲り合うのかということから生まれてくる。前原さんだって、「憲法はとてもじゃないけど安倍さんの考えるスケジュール、今年いっぱいでなんて無理だ」と言っているわけで、憲法に対する基本的な態度は違うということを明確にしつつ、改定の発議まではしないということで一致できるはずなのだ。

 そうやって、多様な考え方を持つ野党が、当面の大事な課題で一致していると国民の目に映らないと、共闘の力は発揮できないだろう。だから、そのためにも、前原さんが言うように、もっと独自のスタンスを打ち出してほしい。どんな民進党にするのか、もっと本質的な議論をしてほしい。

2017年7月26日

 先週末の土曜日だったでしょうか、NHKでやっていた「AIに聞いてみた。どうすんのよ、ニッポン」を見ましたか。有働アナとマツコ・デラックスさんが中心になって議論していました。以下のように宣伝されていました。

 「日本の閉塞感を打破する手がかりを求めて、NHKは「社会問題解決型AI(人工知能)」を開発した。パターン認識と呼ばれる手法で700万を超えるデータをAIが解析したところ、驚きの結果が!そこから導き出されたのは「40代ひとり暮らしを減らせば日本がよくなる」といった驚きの提言の数々だった。それは何を意味するのか?日本は本当に良くなるのか?」

 データの数が半端じゃありませんね。同様のことは大学の研究室でもやっているところがあるみたいですが、さすがNHKでして、その何十倍、何百倍ものデータを入力したそうです。

 「驚きの結果」として、「40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす」以外に、こんなものも。「健康になりたければ病院を減らせ」「ラブホテルが多いと女性が活躍する」。

 それで、AIがこういう結果を出したというので、実際に病院を減らした北海道の夕張市を調べてみたら、健康度が増していた(寿命も増えていたかな?)とか。病院がなくなったというので、健康を維持するためのいろいろな取り組みが増えて、住民が参加するようになったそうです。

 まあ、いろんな反論はあり得るでしょう。健康を左右するのは病院数だけじゃないだろうとか、病院数と住民の健康がそんなにきれいに比例しているのかとか。ただ、病院数が減った地域において高い割合で健康度が高まっているのは事実なんでしょう。それをどう見るかということですね。

 大事だと思うのは、AIにやらせることで、人間の常識では出てこない結果が出てきて、それを人間の側が考えることができるということだと思います。これだけ日本社会が閉塞しているわけだから、常識に囚われない探究も大事でしょう。

 その番組を見ながら思いだしていたのは、「自衛隊を活かす会」でつくった『新・日米安保論』(集英社新書)の議論の際、呼びかけ人の一人である加藤朗さん(桜美林大学教授)が、「AIに核の傘が効いているのかということを考えさせてみたい」と言っておられたことでした。予想通り、本日さっそく、そのNHKのディレクターとつながっていないかというメールが来ましたよ。

 これをテーマにやろうとすると、まず準備が半端じゃないでしょうね。今回のは700万のデータといいますけど、このテーマの場合、世界中のデータが必要になるでしょうから。核兵器が誕生して以来なので、72年分に限定はできるでしょうけどね。

 それに、常識に囚われない答が出てきたら、どうするんでしょうね。「世界中の国が核兵器を持ったとき初めて核抑止は成り立つ」だとか。でも、やってみる価値はあるでしょうね。やれるとしたらおカネと人のあるNHKだけでしょうし。加藤さん、メール出しましたか?

2017年7月25日

 与党が衆参で3分の2を占めているうちに改憲の国民投票に打って出ることは予想していて、その状況にふさわしい本を書く準備をしていた。そうしたら、安倍さんが5月3日に加憲案を出してきたので、本気になって書き出すことになった。

 現在、「はじめに」と第一章、第二章、第四章ができている。長沼訴訟の全記録に目を通しつつ、第三章を来月中に書き、九月に全体を見直しながら、終章と「あとがき」を書く予定。

 これまでの出版社とは違うけど、どこかの新書で出してもらうつもり。現在の護憲派の論調とはかなり違うけれど、私は賛成、反対で世論を分断されるのは好まないので、真ん中あたりで迷っている人をねらいたい。

 タイトルは衝撃的なので、近づくまで秘密です。以下、目次。

第一章 護憲派とはどういう人のことか
 1、非武装の改憲派、専守防衛の護憲派の登場
 2、専守防衛か非武装中立かの対立は昔から見せかけだった
 3、安倍首相の加憲案とどう向き合うのか

第二章 戦争と平和は対義語なのか
 1、侵略戦争と同じ数だけの自衛戦争がある
 2、戦争と平和は通じ合っている
 3、戦後の世界で、戦争は減少する傾向にある

第三章 国民の命を守るのが憲法違反か(未)
 1、戦後の憲法闘争の到達としてのイラク訴訟
 2、長沼訴訟における自衛隊違憲論の研究
 3、自衛隊違憲論、合憲論を総括する

第四章 矛盾に満ちた共産党の防衛政策の分析
 1、「中立自衛」政策のもとでの矛盾と葛藤
 2、憲法九条を将来にわたって堅持する時代の矛盾
 3、野党共闘で矛盾を乗り越えられるか

終 章 護憲を選ぶことによる矛盾は護憲派が引き受ける(未)

 これを書きおえ、加憲案に対する護憲派としての私の立場を豊かにすることができたら、小林よしのりさんに議論を申し出ようかな。それで、2年ほど前に参加させてもらったゴー宣道場「憲法9条で日本を守れるか」とあわせ、弊社から共著を出したい。NHK的にいうと小林さんはいまや左翼で、左翼と左翼が議論するのでは面白みがない、ということになるかもしれませんが。