2013年10月15日

 連休は講演会があったので、四国に行ってきました。そこで議論したことを少し。

 湾岸戦争は国連がオーソライズした戦争で、対テロ・アフガン戦争は国連憲章第51条の個別的・集団的自衛権を根拠にした戦争です。このふたつが、現在、国際法というか国連憲章で認められている戦争ということになります。

 では、アメリカのイラク戦争はどこに分類されるのだ、という質問がありました。どちらにも分類されないわけです。国際法の認めない戦争だったということです。そこが大問題だったわけですよね。

 それで、じゃあ、対テロ・アフガン戦争は国連憲章第51条を根拠にしているから、国際法が認める戦争だったと言えるのか。しかも、9.11テロに際して、国連安保理決議が、前文で「個別的・集団的自衛権」に言及していますしね。そこが個別的・集団的自衛権の難しいところです。

 51条は、「加盟国に対して武力攻撃が発生した」ときに、このふたつの自衛権の発動を認めています。ところが、冷戦期の集団的自衛権の発動は、まったく武力攻撃が発生していないのに、大国が他の国に対する支配を継続するため軍事介入した事例ばかりです。要するに、国連憲章はダシに使われただけであって、実態は侵略であり、自衛の正反対だったわけです。これを集団的自衛権の戦争とは言えません。

 一方、対テロ・アフガン戦争の場合、「武力攻撃」は発生しています。貿易センタービルとかペンタゴンへの武力攻撃があり、何千人ものが死亡しているわけですから、明白です。

 しかし、自衛権って、外交努力を尽くした後にだけ発動できるとか、相手の武力攻撃に均衡する程度の反撃にとどめないといけないという、厳格な要件があります。それに照らせば、タリバンに対する経済制裁を通じてビン・ラディンの引き渡しを求める努力が開始されたばかりのときに発動されたという点でも(外交努力を尽くさずに)、武力攻撃の当事者であるアルカイダに反撃するのではなく、それを匿っているタリバンを相手にして、しかも政権を転覆させるまで反撃したという点でも、自衛権の要件を満たしていないわけです。

 だから、この戦争が、51条にもとづく自衛権と言えるかというと、国際法においては解釈が分かれることになります。まあ、国際法って、こんな大事な問題でも、どちらにでも解釈できるというところに、ひとつの特徴があります。どちらかを決着つけるのは、現実の国際政治の進展が基準になるという感じかな。

 で、そういう話をしていたら、結局、集団的自衛権というのは正しいものか悪いものか、はっきりさせてくれという質問もでました。これまで悪いものがという前提でやってきたのに、それはどうなんだと。

 これは大事なことだと思います。これまで、集団的自衛権は悪いものだということには、証明が必要ありませんでした。だって、護憲運動が反対しているだけでなく、日本政府が違憲だと断定してきたわけですから。そして、護憲運動の多くは、政府の違憲論をベースに反対してきたと思います。

 いま、それが通用しない時代になろうとしているわけです。政府が合憲論に立ち、国民に対して論戦をふっかけてくる時代です。彼らは、世界中の国が集団的自衛権を認められているのに日本だけが制約があるのはおかしいとか、困っている人を助けるのは当然だとか、耳障りのいいことを言って攻めてくる。

 そういう時代には、これまでの論理を根底から見直さなければなりません。そのための努力はさらに私も続けたいと思います。