2013年10月22日

 全国商工新聞から依頼され、集団的自衛権について以下の論考を寄稿しました。近く「視点」欄に載るそうです。以下の内容です。

 つい数年前まではほとんど目にすることのなかった集団的自衛権という言葉が、いまや政治の一大焦点となっています。いうまでもなく、安倍首相が、憲法解釈を変えることにより、これまで違憲だった集団的自衛権を合憲にしようとしているからです。

 安倍首相は、世界中の国が集団的自衛権を行使する権利を持っているのに、日本だけが九条の制約があって行使できないのはおかしいと言います。しかし、冷戦期、集団的自衛権を行使すると宣言し、戦争したことがあるのは、アメリカ、ソ連、イギリス、フランスの四カ国だけです。冷戦後もそれに加わったのはNATO諸国のみです。世界の軍事大国が行使してきたのが、集団的自衛権なのです。それは当然でしょう。海外に軍隊を派遣して戦争するには、強大な軍事能力が必要であり、普通の国にできるようなものではないのですから。

 なぜ日本もそういう道を進むのか。二つの理由があります。

 一つはアメリカの要請です。アメリカがアジアで戦争をする際、日本が後方支援する態勢はできあがっていますが(周辺事態法)、自衛隊が最前線で戦闘行動に加われないという制約が、軍事的に見て合理的でないと考えるアメリカの関係者が存在するのです。

 他方、そのアメリカの中にも、中国を挑発するような戦略は自制すべきだという考え方が生まれています。最近、アメリカの艦船に中国の軍用機が着艦する訓練が実施されましたが、それもこうした考えの表れです。かつてのソ連は、アメリカにとって軍事的にも、経済的にも打倒すべき相手だったのですが、現在の中国はアメリカの繁栄にとって欠かせない相手であり、その現実にふさわしい戦略をとるべきだという模索があります。そういう時に、かつてアジアを侵略した日本が自衛隊を最前線に送ってしまっては、かえって混乱を招くという懸念が存在します。

 にもかかわらず、なぜ安倍政権は、集団的自衛権の行使に踏み切るのか。安倍首相は、三月一五日に開かれた自民党の会合で、自衛隊の名称を国防軍に変える理由について、「誇りを守るためだ。日本だけを守る軍隊だと言われたくない」と説明しました。明文改憲で国防軍を設置するのも、アメリカを守るため、すなわち集団的自衛権を行使するためだというのです。そして、そうしないと「誇り」を感じられないというのですから、対米従属下のナショナリズムとしか言いようがありません。安倍首相を集団自衛権へ、国防軍へと駆り立てるもう一つの理由は、ゆがんだナショナリズムなのです。

 そういう種類のものが、国民多数の支持を得られることはありません。どんな世論調査を見ても、集団的自衛権に反対する声が過半数を占めています。世論を反映して、年内に解釈改憲の閣議決定を行い、来年冒頭にそれを担保する法案を国会に提出するという当初のスケジュールは、すでに崩れています。

 しかも、政府解釈を変更するために更迭された内閣法制局長官が、追いやられた先の最高裁判事として、集団的自衛権は違憲だと明言しました。裁判官も人の子であって、圧倒的な世論の前では、その世論を無視することはできません。

 そして、だからこそ一方で、安倍首相は、最高裁が違憲の判断をした場合に備え、解釈改憲の後には明文改憲を行い、集団的自衛権を行使する国づくりを完璧なものとしようとしているのです。まさに正念場。カギを握るのは世論の多数派形成に他なりません。