2013年10月30日

 この政府のやり方のもう一つの問題は、世界の平和という大問題に対する考え方のゆがみである。侵略された国がそこにあるのに、日本が動くのは、日本の存立がかかった場合だけという考え方である。

 だって、侵略された国があるなら、それが地球のどこにある国であれ、助けるのが当然だろう。いや、何ができるかという点では、地理的な制約もある。しかし、侵略されて困っているという点では、日本に近いかどうかは関係ない。それなのに、それにほおかむりしていいのか。

 安倍さんの「積極的平和主義」というのは、その程度のものなのだろうか。自国のことしか考えない「一国平和主義」がおかしいといって、「積極的」にやろうというのが建前だったはずだ。

 もしかしたら、この問題は、集団的自衛権を推進する勢力の矛盾をつくうえで、絶好の論点になるかもしれない。

 彼らは、「そこに侵略された国があるのに助けないでいいのか」と言って、集団的自衛権の行使を迫るわけである。その論理は、単体のかたちだけでみれば、反論できるものではない。人の心を揺さぶるのだ。

 ところが彼らの本音は、そういうところにない。助けたいのはアメリカだけなのだ。だから、地球の裏側まで行ってしまって、その間にアメリカが困るような事態が起きて、アメリカを助けられないみたいになったら困ってしまう。

 だから、アメリカ限定にしたい。ところが、アメリカだけを対象に集団的自衛権を行使するっていうことになると、侵略された国はみんな助けてあげるという、人の心を揺すぶるような論理からは遠く離れてしまう。

 かくて、「日本の存立」という、まったく別の論理で押し通そうとする。これだったら、日本周辺の脅威に敏感な世論を惹きつけられるだろうというわけだ。

 しかし、そういう論理になると、「日本の存立」のための行動なら、それって集団的自衛権じゃないでしょということになる。個別的自衛権なのだ。

 そして、個別的自衛権なら、集団的自衛権の解釈を変える必要はなくなるのだ。そうじゃありませんか?

 この辺りを、一言で分かるようなスローガンみたくして、なんとか打ち出せないかな。考えるべき価値はあると思うけどね。