2013年10月3日

 福島原発事故の1年目、2年目と、うちの会社が後援する企画を、福島の浜通りで実施しました。1年目は、第一原発の保守管理をしていた蓮池透(北朝鮮拉致問題の)さんによる講演と、伊勢﨑賢治さんのジャズヒケシ。2年目は、池田香代子さん、齋藤紀さん、清水修二さんをお招きしたシンポジウム「福島再生の可能性はどこにあるか」。全国からツアーも実施し、県外の人には福島の実情をリアルに知る機会にもなったと思います。

 さて、来年は3年目です。本日、先月に引き続き、この企画の中心になってもらう予定の佐藤秀樹さん、佐藤晃子さんとお会いし、いろいろと話し合ってきました。佐藤さんは、うちから出版された本、「あの日からずっと、福島・渡利で子育てしています」の著者です。最近増刷になり、評判が高まっています。

 さて、その企画のことです。詳細を発表できるのはもっと先になるでしょうが、「こんな感じになるかなあ」ということを言えるところまでは来たと思います。

 タイトルは、つけるとすると、こうなります。「福島の子育て中の家族が生き方を語り尊重し合う音楽の夕べ」。もっと短く表現できるかっこいいタイトル、募集中です。

 「音楽の夕べ」にしては重たいなと思われるでしょう。でも、福島で子育てする家族を対象にして何らかの取り組みをする場合、ただホンワカと、その問題を回避し、音楽で癒やされることだけを目的として集うことはできない。というか、そういう取り組みでは現地の方もやる気にならないというのが、まず前提としてあります。

 でも、じゃあやるとなると、それが難しい。子育て中の家族といっても、福島に残っている人もいれば、妻と子どもを避難させている人もいれば、いったん避難したけれど戻ってきた人もいます。ずっと残っているけれど、できれば避難したいという人もいるでしょう。

 それらどんな決断も、それぞれの家族にとっては、とっても重大な決断だったはずです。自分の決断は正しかったと思いたい。だけど、自分の決断が正しかったという思いは、一歩間違えると、別の決断は正しくなかったということになりかねない要素を含んでいるわけです。

 そのため、同じように原発事故の被害者なのに、お互いを批判しあうような場面もあるわけです。そういうことはイヤなので、立場が違うとわかれば、あまり深入りしないつきあいにとどめようとしたり。

 できれば、そこを突破したい。まったく違う決断をした家族が一同に会し、お互いの立場を語り、それらをお互いに尊重したいと思えるようにしたい。だって、同じ被害者で、みんな失ったものがあって、本当は共感し合えるはずなのだから。

 1回の討論で解決するような簡単な問題ではありません。でも、それを試みる最初の機会にしたい。

 これが、企画の底を流れる趣旨になると思います。もちろん、これから実行委員会をつくるので、そこでどんどん変わっていくかもしれませんが。(続)