2014年10月15日

 韓国から14日中に帰国予定だったが、その便が関空に到着する予定時間帯は、ちょうど台風が岸和田に上陸する時間帯と重なっていた。ということで、当然、飛行機は飛ばず、昨夜ようやくたどり着いた次第である。

 疲れ果てた状態で行って、現地では最悪の健康状態だった。だけど、まあ基本はバスとかでの移動だし、締めきり仕事を持っていかず、毎日10時間ほど寝たので、現地にいる間に体調が回復したという感じかな。

 いろいろ勉強になった。大韓帝国歴史博物館のオープン記念日にちょうど行き会わせ、日本人として最初のゲストになったりもしたし(超レアな記念品ももらえた)。つけられた大韓帝国という国の名前が示すように、韓国も日本と同様、「帝国」となって国際法基準で一人前国家になりたかったんだね。皇帝が『万国公法(国際法)の基礎』なんてタイトルの本を必死に読んだわけだ。それが叶わないまま植民地になっていくわけだが、そのあたりの心情に対する考察というものも、韓国に関する本を書くためには不可欠な要素ではある。

 慰安婦問題では、挺対協の博物館を訪れたわけだが、予想通りであった。全体として意味のある展示だと感じるが、やはり河野談話への敵意というのが、この博物館のベースにある。日本語で流れていたアナウンスでも、日本の責任を回避するために文書という位置づけである。

 そう、現在、河野談話は、左と右の偏狭な部分から攻撃にさらされている。これをどうするかが、この問題のキーポイントであると思う。

 発表当時は、右側の全体は「不満はあるが、これで収まるものなら仕方ない」という位置づけだった。国民全体も「この線で行こう」という感じだったと思う。

 だけど、挺対協をはじめとする左翼、市民運動は、この談話を口を極めて批判をした。その結果、談話で鉾を納めようとしていた韓国政府も態度をかえ、日本に対する補償を求めるようになってくる。

 その結果の結果、右側は「これで収まらないなら白紙だ、収まらない元凶は河野談話にある」として、談話への評価を変えていく。中間派も、何回謝っても収まらないなら、もう謝りたくないとして、右側に寄っていくわけだ。

 慰安婦問題を解決し、終わらせるには、中間派も右派も一時はOKした河野談話を堅持するのを基本とする以外にはない。彼らがかつての立場に戻るための論理を考え方を提示していかねばならない。

 くわえて、挺対協のような立場の人びと、団体をどうするかが考えどころである。河野談話を支持しないなら、「もう一緒にはできないね」ということになるのか。もちろん、右であれ左であれ、すべての人が最後まで一緒に行くということは、この問題ではないのかもしれない。

 あるいは最後まで説得を続けるのか。もし説得できるとすると、昔は河野談話を否定したが、いまは賛美する側に回った人たちだろうね。なぜ以前は批判をしたが、いまは大賛成なのか、その論理を分かりやすく挺対協に提示できれば、心が解けていくかもしれない。もちろん、私は私なりに、何らかのものは提示するつもりである。