2016年3月15日

 注目されていた京都3区の衆議院補選は、民主党の候補者が単独で出て、共産党は自主投票でしたね。「野合」しなかったというんでしょうか。

 率直に言って、これからもこういうことがあるでしょう。だって、日常的な共闘の積み重ねがなく、というかそれどころか敵対し合ってきたのに、いくら大事な法案とはいえ全国レベルで1回共闘したからといって、突然、全国どこでも共闘するって、あり得ないと思います。

 とくに京都の場合、先月の市長選挙でも対立していたわけです。戦争法案に際しては、共産党も民主党の福山さんなんかも大事な役割を果たしましたが、共闘をつくりだすための努力は双方にありませんでした。

 「自衛隊を活かす会」の柳澤さんが、民主党の候補者である泉健太氏にも、九条の会にも呼ばれた実績があるのです(戦争法案の問題で)。だから、選挙共闘はどうあれ、せめて運動レベルで共闘がならないかと少しだけ動きましたが、問題にもなりませんでした。

 自主投票というと、一般的な受け止めは、中途半端ということになるでしょうね。なぜ共闘できないんだという声もあるでしょうし、なぜ協力を求められてもいないのに候補者を出さないんだという声も出てくるでしょう。

 大事だと思うのは、自主投票するにせよ、どういう方向に進むのかという目標をもって、それにふさわしい行動をすることです。そして、目標はやはり、戦争法の廃止とアベ政治の退場なのでしょう。

 「自主投票」ということで思い出すのは、高知県知事選挙です。91年に橋本大二郎氏が出馬し、自民党と共産党の候補を打ち破って当選したのですが、その次の選挙だったでしょうか、共産党が「自主投票」という態度をとりました。

 そういう態度をとるって、当時も、共産党にとってはめずらしいことでした。橋本さんの実績を見て、推薦するまではできないけれど、対立候補を立てるという選択をするほどではないと考えたのでしょうかね。

 しかも、そういう態度を表明するに当たって、記者会見に臨んだ共産党の県委員長は、「自分は橋本さんに投票する」と述べたそうです。自主投票といっても、かなり支持する気持ちがあったのだと思われます。その後、橋本さんと共産党は、かなり蜜月という感じになりました。そういう思惑を秘めた自主投票だったわけです。

 そうじゃなくて、誰も支持できないけど、自分でも候補者が出せないから自主投票という対応をする場合もあります。とくに目標もなく、何かを意欲的に働きかける意思もないような場合です。

 今後、いろいろなケースが出てくるでしょうから、自主投票のありようにも注目ですね。はい。