2016年3月25日

 旅の実質一日目は、マルクスが生まれたトリーアの街で過ごしました。ローマ帝国時代の中心地であったということで、世界遺産だらけという感じでしょうか。

 もちろん、定番の「マルクスの生家」にも行きました。そこで、画面上でマルクスの横で写真を撮り、それを自分のメールアドレスに送れるという、先進的なサービスがありました。テンプレートが3つありましたが、そのなかからひとつ。

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 マルクスの生家は、まさに生まれただけの家で、一カ月くらいしか住んでないんです(赤ちゃんだから自覚もないでしょうし)。それよりも、次に移り住んだ家もあって、いまは一階が100円ショップになっているっていうのが、なんとなくおかしかったです。

 夜は、ブランデンブルク科学アカデミー(由緒のある研究所です)のヘレス教授をお迎えし、現在のマルクス研究についてお伺いしました。これが面白かったです。

 何が面白かったかというと、この教授が、「歴史におけるマルクス理解」という手法をとって研究しているということです。マルクスというと、「こんなことを言った人」みたいな理解が20世紀になって広がっていますが、19世紀に活躍したマルクスを、その19世紀の枠組みで理解しなければならないということです。

 いまから99年前にロシア革命があり、マルクスの予見が実現したということで、そのマルクスをレーニンとかスターリンがどう解釈し、評価したかということが、そのままマルクスが考えていたことであるかのような見方が生まれました。それではダメだということが日本でも言われていますが、ドイツでも同じようなことを考えている方がいるわけですね。

 この教授は、マルクスがもっと現実的にものを考えていた例として、『共産党宣言』を出した直後に1848年3月革命があったけれど、そこでマルクスが掲げたのは共産主義ではなく、普通選挙とか民主共和制(君主制を廃止して)だったことを強調しました。ホントにそうなんですね。

 でも同時に、君主制の廃止だって、かなりハードルの高い目標だったんです。当時、革命で普通選挙(男子だけ)があってつくられた議会でも、君主制を残そうという議員がほとんどだったんです。それで私は、マルクスが本当に現実的にものを考えていたといえるのだろうかと質問しましたが、教授も、君主制を完全に廃止するというマルクスの目標が現実味の薄いもので、国民多数もそれを望んでいなかったことは事実だとおっしゃっていました。

 それ以外に、『資本論』のためのマルクスの草稿をそのまま活字として出す仕事をしておられるわけですが、その過程で、エンゲルスがマルクスの意図と違う形で『資本論』の第2巻、第3巻の編集をしたことを具体的に指摘しておられました。それは日本でも指摘されていることですが、そういう問題が現実の社会変革の運動に役立つようになるまでには、どんなことが求められるんでしょうね。

 いずれにせよ、それらに接した内田、石川両先生の頭脳を相当刺激したと思います。今晩、「マルクスの旅」での最初のお二人の対談を実施します。楽しみです。