2016年3月28日

 本日、リバプールを離れてロンドンに向かいます。マルクスのお墓に花を手向けたあと、内田、石川両氏の対談です。

 マンチェスターとリバプールは、とってもいいツアーになったと思います。偶然が作用した結果なんですけどね。

 マンチェスターのあと、どこで泊まるかは、なかなか難しい判断でした。北の方にロバート・オウエンがつくった協同組合工場が残っていて、そこで宿泊もできるのです。マルクスは、10時間労働制の実験として高く評価していましたから、そこに行く選択肢もありました。

 だけど、遠いんですね。ツアーも4日目となると疲れも出てくるし、近くのリバプールならビートルズとの出会いを楽しみに参加するお客様もいるだろうし、9日間の旅だから少しは楽しさも必要なので、ここにしたんです。

 マルクスとの関係はと尋ねられたら、ここに奴隷博物館があることにしようと、理由を跡づけしたんです。マルクスは、「奴隷制がなければ綿花はない。綿花がなければ近代工業はない。奴隷制は植民地に価値を与え、植民地は世界貿易をつくりだし、世界貿易は機械制大工業(産業革命)の必須要件だった」(1846年12月28日付け書簡」)と言っていますしね。

 ツアー出発直前、いろいろ調べていたら、マンチェスターにリンカーンの像があることを知りました。なぜだろうと理由を調べてみました。

 南北戦争が始まったとき、南部からの綿花の輸出が途絶えて、イギリスでは「綿花飢饉」と呼ばれる事態になったそうです。それまでイギリスの輸入の4分の3を占めていたアメリカからの輸出が、5%程度にまで下がり、工場は大半が操業を中止し、常勤の労働者は1割になったと言われています。

 南部の諸州は、イギリスの代表を送り、南部を支援してくれたら、いまのイギリスの苦境は抜け出られると説得したそうです。でも、マンチェスターの労働者は、リンカーンを支持する立場に立ち、集会を開いたりした。それが全国に広がって、ロンドンでも集会が開かれるに至り、マルクスも演説したそうです。

 そこで、リンカーンがマンチェスターの労働者に感謝の手紙を送ったんですね。実際、像のところにいったら、その手紙が彫られていました。とても見える状態ではなかったので、昨日、ネットで検索して見つけましたけど。

 こうやって、偶然のことなんですが、マンチェスター、リバプール、マルクスが奴隷制でつながったんです。なんだか、はじめから狙って企画したような旅になりました。

 偶然と言えば、もう1つ。マンチェスターの科学・産業博物館で当時の紡績機械と織機が展示してあって、しかし誰も説明ができないんです。その時、今回のツアー客のなかに、女工をめざす生徒の学校の先生をやった経験のある方がいて、見事に説明してくれました。この機械ではなぜ病気になりやすいのかも教えてくれました。

 偶然が作用して、本当にすばらしい体験をしました。ロンドンの二日間で旅は終わり、あとは「若者よ、マルクスを読もう」の「番外編」つくりにまっしぐらです。