2016年4月5日

 弊社にはギャラリーがあります(左の奥に見るのは、なんと井戸!)。2週間ごとくらいに展示物が入れ替わります。

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 昨日、出版の相談に来られた研究者を、相談のあと、ギャラリーにご案内したら、出展者がおられ、研究者との間で話がはずみました。それで出展者が研究者にご自分の作品でつくったカレンダーをプレゼントし、そばにいた私もいただいたのです。

 1月から12月までカレンダーを見終わり、最後のページでご本人のプロフィール部分を見てびっくり。なんとご出身が、私と同じ「長崎県西彼杵郡崎戸町」!(現在は西海市崎戸町になっていますが、私も西彼杵郡を使っちゃいます)。

 人口が2000人程度の島なんです。昔は炭鉱があって2万人以上が住んでいましたが、閉山になって、みんな(私の家族も)都会へ出て行きました。山田洋次の「家族」の世界ですね。

 崎戸町と言えば、小説家である井上光晴が青年期を過ごしました。いまも、井上光晴文学館があります。井上は私の父より2歳年上で、共産党の活動もいっしょにやっていたようです。50年問題の混乱もいっしょに体験したのでしょう。

 私が大学に入るので上京した頃、父は当時を懐かしく思ったのでしょうか、いろいろな人に引き合わされました。宮本顕治が九州に流されてきたとき、共産党九州地方委員会で同じ釜の飯を食った方とか。

 まあ、私は小学校に入る前に島を出たので、ほとんど記憶がありません。そんな父だったから、とっても貧乏で、誰よりも貧しいと幼心に自覚できる家に住んでいたという程度かな。

 それでも懐かしさに変わりはありません。これも偶然ですが、来週、崎戸町出身の親戚一同が我が家に集まります。東は東京、西は長崎県諫早市から、総勢10名。半分は私の親の世代ですから、こんなことができるのは、これが最後でしょうね。

 本日は個人的な話で申し訳ありません。あまりの偶然にびっくりしたものですから。