2016年4月27日

 昨日は、福島まで行き、甲状腺被ばく問題でお医者さんにインタビュー。というか、インタビューは池田香代子さんにしてもらって、私はそのやりとりのそばにいた。

 40年間も被爆者医療に関わってきた臨床医の苦悩と前向きな姿勢が伝わってくるお話だった。それを十分に伝えられるものにできるかどうか、編集者としての力量が問われることになるだろう。

 この方とは、もう5年近く前に知り合った。その時の言葉でいまも覚えているのは、30年間の広島での仕事を終え、晩年を福島に移り住んで3.11に直面することになるわけだが、広島の被爆者から、「先生も私らの仲間になったね」と言われたということだった。

 その時の複雑な胸の内は察するに余りある。広島の被爆者が、自分が被爆したということを、被爆しなかった他の方々との区別において理解せざるをえないということ。同時に、広島の被爆は、福島とは比べものにならないほどのすさまじさであったことを理解してほしいこと。それにもかかわらず、先生は、3.11があったからではなく、被爆者をずっと仲間だと思っていたこと。その他その他。

 先生は、それらも含めた被爆者医療を通じて自分が到達したことを、絶対化と相対化という言葉で表現された。自分の味わったことの苦痛を絶対的な悪として表現しなければ、生活さえできなかった現実。しかし、そこを絶対化してしまえば、たとえば空襲の被害者との区別において自分を位置づけることになるので、心からの連帯はできなくなるのではということ。その意味で、自分を相対化する視点が必要なこと。

 あるいは、臨床医は、科学的事実をベースにしなければならないが、患者を救うにはそれでは足らないこと。被爆の影響の科学的なところはおさえるが、患者を前向きに生きさせるために言葉をかけなければならないこと。

 まあ、私がつかんだことを表現しようとしても、まだ消化もしきれていないし、伝わらないと思う。だけど、この先生の人生をかけた戦いをオモテに出すことができれば、広島と長崎、福島に通じる何者かをえぐり出し、被害者の苦痛を和らげることになるとは理解できる。何とかしてものにしたいけれど、そのためには自分がもっと成長しないとダメだよね。

 今朝、福島を出て、いま、東京事務所。これから京都に戻って、会議。連休に本を書こうと思っていたけれど、仕事で終わりそうだな。