2016年4月26日

 またまた、このタイトルで、「産経デジタル」に寄稿しました。ここからご覧できますが、いちおう、このブログでも紹介しておきます。本日は福島に向かい、数時間のインタビューをこなして、明日は夕方の会議のため京都に戻ってこなければなりません。引き続き忙しいです。

(以下、産経デジタルの記事)

●政治利用一般が問題だとは思わないけれど

 熊本地震の政治利用問題でネット空間が沸騰しているようだ。政府与党の側でいうと、憲法に緊急事態条項を規定するべきだという菅官房長官の発言、米軍機オスプレイを輸送のために投入した問題が議論になっている。野党の側でも、民進党のツイッターで、一般ユーザーの「東日本大震災時の自民党のような対応を望みます」とのツイートに反論してやりとりがあり、民主党が最終的にはその部分を削除することになった。共産党の池内さおり衆議院議員も、「川内原発今すぐ止めよ。正気の沙汰か!」とツイッターに投稿したが、現在は削除されているそうだ。

 それらを見ていて、自分自身の2001年の芸予地震の経験を思い出した。当時、私は共産党の参議院比例区の候補者をやっていたのだが、地震発生の時(3月24日午後3時27分)、広島県海田町で宣伝カーに乗って演説をしていた。車が大きく揺れ、これはただ事でないと感じ、夕方には被害の大きかった呉市に直行。被害の大きかった場所を調査するとともに、市議会議員とともに市役所の防災担当者に会って、要望などを聞き取ることになる。政治家の卵としては当然の行為だと思っていたが、いまから考えると、それで良かったのかと悔いは残る。防災担当者の仕事を妨げたかもしれないし、たかが候補者が政治を動かす何かができるわけでもなく、ただの売名行為だととられても仕方がなかった(当選しなかったのは「売名」にならなかったということだけれども)。

 政治家というのは、ある政治目的をもった人間である。どんな問題であれ、政治目的のために利用しようとするのは、ある意味で当然のことかもしれない。というか、政治利用を意図しなくても、政治家の発言や行動は政治的な意味をもち、結果として政治のための利用になる。だから、震災の政治利用が一般的に問題のあることだとは思わない。しかし、議論にはなるが炎上するまでにはならない発言や行為もあれば、炎上して凍結されるものもある。それを分けるのはなんなのだろうか。

●政治的意図の有無と批判は別問題

 オスプレイの問題が分かりやすいかもしれない。

 今回のオスプレイ投入が政治利用であることは疑いないと思う。東日本大震災と比べ、輸送手段が決定的に不足しているわけでもないのに、わざわざ米軍に依頼するのが、そもそも「日米連携」の強固さをうたう政治的な意図がある。その輸送手段にしても、別のやり方はあるのにわざわざオスプレイを使うのは、この際、国民に不安が残っているマイナスイメージを払拭したいという意図と無縁ではなかろう。

 しかし、それは政治的意図である。今回のような非常時の場合、問題を評価する基準がどこにあるかといえば、政治的意図に不純なものが含まれるかどうかではない。あくまで、それが少しでも被災者の役に立つかどうかだ。オスプレイが他の輸送手段と比べて十分かどうかの議論はあっても、それが被災者の役に立つ物資を運ぶという事実に変わりはない。そういう場合、オスプレイ投入の政治的な意図は批判することはあってもいいが、投入自体を批判するようなことがあると、被災者を助ける行為を妨害していると受け取られることになってしまう。

 オスプレイ投入自体への批判が正当性をもつとしたら、それが被災者に迷惑をかけるという論理が通用する場合だけだ。実際、過去のいろいろな場面で、オスプレイが起こした問題が指摘されている。2014年、和歌山県で実施された防災訓練において、オスプレイの離陸後に排気熱で芝が焼け、消火活動に追われるという本末転倒の事態が起きたそうだ。15年4月のネパール地震の際、オスプレイが被災者救援中、民家の屋根を吹き飛ばしたこともあるという。

 ただ、米軍だってそういうことは考慮して離発着場所は決めるだろうし、投入によって得られる「実益」があるわけだ。だから、投入反対というより、せいぜいどっちが利益かという比較考量の話になるだろうとは思う。

●政治利用の「度」の問題も

 野党の問題はどうだろうか。民進党のツイッターの話は、あまりに水準が低いし、民進党自体が事実上反省していると思うので、ここでは取り上げない。池内さおり議員の行為にだけ言及する。

 今回の地震が発生したとき、「川内原発は大丈夫だろうか」と思ったのは、池内議員に限らないと思う。私もそうだった。民進党も停止を求めることはしないという結論になったようだが、そういう声はずいぶんあがっていたようだ。共産党は16日、稼働停止を政府に求めている。これも震災の政治利用と言えば政治利用だが、それで共産党に批判が殺到したという話は聞かない。

 それなのになぜ、池内議員のツイッターが問題になったのか。一つは、政治利用の「度」が過ぎたということがあると思う。今回の地震があったことにより、「こんな地震国で原発を稼働させていて大丈夫なのか」という不安が広がったのは当然であり、どこであれ再稼働はやめようね、稼働しているものは停止しようねというなら、それなりに根拠をもった発言となり、問題にならなかったと思う。共産党の申し入れが問題にならないのと同じだ。

 一方、池内議員のツイッターは、まさに熊本で地震があったのを直接に受けるかたちで、「川内原発今すぐ止めよ」とするものであった。しかも、この人の特徴であるが、「正気の沙汰か!」という激しい言葉を使ってそれを求めていた。しかし、実際の川内原発は、震災にもかかわらず正常に運転されている。だから、川内原発が正常であろうが不正常であろうが、とにかく何でも稼働停止に利用するんだと受け取られたのが、強く批判されることになったのだと感じる。

 しかも、オスプレイの箇所で触れたように、いま大事なのは実際に被災者の役に立つかどうかである。政治家としてそれをしているかである。そのために池内議員がどれだけ努力しているかは知らないが(共産党が努力していることは知っている)、政治家ならば、その分野で努力し、それをツイートしてアピールするのが本筋だろう。そういうツイートをたくさんしているのに、ツイッターの特性で、原発問題だけが肥大化して取り上げられているのかもしれないけれど。

 激しい言葉は熱狂的な支持者をつなぎ止めるには有効だが、政治家のつとめは、考えの異なる人々を獲得することにある。その点では、まだまだ成長途上ということだろう。

●最も問題なのは菅官房長官の改憲発言

 なお、震災が発生して以降の政治家の言論で、もっとも問題だと思っているのは、菅官房長官の発言である。15日の記者会見で、「今回のような大規模災害が発生したような緊急時に国民の安全を守るために、国家、国民みずからがどのような役割を果たすべきかを憲法にどのように位置づけるかについては大切な課題だ」と発言したことである。

 何といっても、今回の震災で被災者救援にあたる中心にあるべき人である。そのための仕事をしていないとまでは言わないが、本来なら身心のすべてを被災者に向けなければならないのに、かなりの部分が震災をどう改憲に利用するかに向かっていたわけだから、被災者にとって困ったことである。

 しかも、すでに多くの方が指摘していることだが、現実の事態の進行は、行政権力に権限を集中させることの問題を浮き彫りにした。初日、政府が「青空避難」を解消せよと主張し、それに対して、熊本県知事が、「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ」と不快感を示したとされる。

 私は、今回の震災で、安倍首相がいろいろ努力していることは評価しているし、熊本の方々のためにがんばり抜いてほしいという気持ちも持っている。「青空避難」の解消ということも、テレビその他で被災者の姿を見ていて、そういう気持ちが湧いてくるのは自然かもしれない。私だって、車で寝泊まりしている人の話を聞いていると、何とかならないかと感じることもある。

 だから、「青空避難」の解消は、善意で主張したわけだ。非常事態条項導入の意図としてよく言われるように、独裁者が権力を集中して振り回そうという意図で発言しているわけではないことは分かる。菅さんの発言も、せいぜい、こういう非常時に行政機関や自治体を整然と動かすかっこいい政府指導者像を念頭に置いた発言、という程度のことだったかもしれない。

 けれども、今回の事態は、災害という非常事態において、現場にいるわけでもない人に権力を集中してしまうと、現実とかけ離れた対策がとられてしまう可能性があることを示した。いまの体制なら、政府が何かやろうとしても、現場にいる人たちの主張があって是正されるが、権力が集中されてしまうと、そういう力が働かなくなるということだ。

 安倍首相や自民党が、今回の事態から、そういう教訓を導き出せるのか。そのことがいまの私の最大の関心事である。