2013年7月2日

要するに、欧州もアメリカも、市民は自分の力で自由と権利を勝ち取った。日本でも戦前からそのような闘いはあり、成果もあったが、自由と権利は戦後、憲法によって与えられたのが基本的な側面である。

欧米における自由と権利の獲得は、政権の奪取と結びつくことも多かった(アメリカの場合は独立)。政策の大転換もあった。しかし、日本の場合、憲法によって紙の上では原理が転換したのに、戦前の政権担当者がそのまま戦後にも政権につく。その政権担当者は、古い人権思想の持ち主であると同時に、資本主義の原理の守り手でもあった。

その日本で、市民の側は、解雇されたり、公害の被害を受けたりして、自分のために闘うわけだが、それは契約自由と私有財産制という資本主義の原理に挑戦する闘いであった。同時にそれは、政治的権利を行使して古い人権思想に固執する政権と闘うという点では、市民革命が成し遂げたものを、ようやく日本でも実現するという性格をもっていたと思う。ふたつの性格をもっていたのである。

そして、この闘いの武器になったのが、戦後手にした憲法だったわけである。

マルクスは、ちょっと単純化していうと、市民的政治的権利は資本主義のもとで実現するが、社会的経済的権利は社会主義で実現するものだと考えた。社会権は資本主義では実現しないと考えたから、革命をめざしたわけである。

ところが日本国憲法は、その市民的政治的権利とともに、社会権も包括的に保障している。だから、憲法を武器にして闘うということは、本来、資本主義のもとで実現されるべき政治的自由を求めるとともに、その資本主義を改革する闘いでもあったと思う。

ところで、社会権が完全に実現する過程で、資本主義は資本主義から脱していくのではないだろうか。それとも、社会権が完全に実現しても、それは資本主義の枠内の改革にとどまるのだろうか。これは宿題である。

いずれにせよ、だから、護憲とは、何かをまもる闘いではなかった。社会変革の闘いであった。

これは、安倍政権が進める改憲との闘いでも、同様の位置づけが必要であると感じる。自民党の改憲案は、復古的だといわれていて、そういう要素は否定しないが、じつはこの日本の資本主義社会を、国際的な流れにあわせて、もっとむき出しの資本主義にしていくというのが基本的側面ではないかと考える。(続)

2013年7月1日

安倍さんがいろいろしゃべっているようだ。尖閣をめぐって中国側からいろいろ注文がでていて、それが会談開催の前提条件になっており、受け入れられる問題ではないので、会談ができないのだと。

中国包囲網を築くことに熱心で、何の対話もしないでいるという批判がかなり効いていて、反論しなければと思ったのだろう。国益をおびやかす提案が中国からされているとして、国民に理解を求めたというところだ。

おそらく、その中国側の注文は、受け入れられるものではないのだと思う。どこかで報道があったけれども、尖閣周辺の海域を、中国の公船も日本の公船も、どちらも入れない海域にしようという提案だということだ。

現在、この海域は、日本が実効的に支配しているわけであり、それをくずすという案が受け入れられるわけがない。この点では、安倍さんの言明は、個人的な心情を推し量ると理解できないわけではない。

だけど、それを総理大臣がべらべらとテレビでしゃべるのは、いったいどういう料簡なのか。だっていま、その問題をめぐって、日中両国が実務レベルで話し合っているのだろう。この問題はどこかで合意しなければならないわけだから、知恵を出し合っているのだと思う。そのときに、一方の側の、しかも首相が、相手側の提案がおかしいといってしまったら、まとまるものもまとまらなくなる。これでは外交にならない。元外務省高官に対して外交にたずわさる資格がないとフェイスブックで書いていたけど、「それはあなたのことでしょ」といいたくなる。

だけど、こうやって首相が協議をつぶすような発言をするというのは、もしかして、日本側には、何の提案もないのだろうか。「対話の扉は開けてある」なんてかっこいいことをいいながら、実は、対話の内容はなくて、中国に対して、ただただ領海侵犯をやめなさい、悪いのはお前の方だから、一方的に非を認めなさいというような外交をしているのだろうか。「価値観外交」なんて自分でいうくらいだから、そうかもなあ。価値観の違う国とつきあっていくのが外交の妙味なのにね。

日本は尖閣を実効支配しているのだから、もっと鷹揚にかまえていいのだと思う。どこかで書いたけれども、東シナ海の油田の共同開発では中国国内法にもとづく日本側の参加という共同開発方式で合意したのだから、その先例を適用しようといって、尖閣では、日本の国内法にもとづく中国側の参加を求めることが望ましい。

そうやって、海底開発のためになら、中国の公船の活動を許すのである。これは、中国に一歩譲ってそのメンツを大切にしてあげるわけだが、同時にそれは日本の国内法の適用としておこなわれるわけだから、日本の実効支配はさらに強まることになる。

「価値観外交」もいいけど、主権の維持のためには「実益」を前面に出すこともあり得るのだ。主権と主権のぶつかりあいでは、譲るということができなくなるのだから。