2013年7月29日

前回の記事で、中国の平和市民団体が国際会議に出てくるなら、日本に抗議するだけでなく、自国の軍拡路線や尖閣をめぐる挑発に抗議をしてほしいと書いた。だけど、それは、現状ではかなり絶望的なことである。

だって、いま国際的な市民運動の会議に出てくる中国の代表って、市民代表というより、政府代表のようなものだからね。ふつうなら、非政府組織(Non-Govermental Organization=NGO)が国際会議に出てくるのだが、中国の場合、同じく非政府組織をなのっていても、ゴンゴ(GONGO=Govermental NGO=政府系非政府組織)だと蔑称される所以である。

社会主義なのだから、人民と政府の立場は一致していて、矛盾はないのだというのが、中国政府の立場なのだろう。だけど、中国市民の立場はそうではないだろうし(詳しく書かないが、レーニンだってそうではなかった)、ましてや中国の平和運動と関係をもつ日本の平和運動が、そういう中国政府と同じ立場に立ってはならないと思う。たとえ困難はあっても、自国の軍拡路線とか、尖閣問題での軍事挑発を批判する運動に着目し、交流を深めることをめざすべきだろう。

そういえば、人権問題なら、政府の人権侵害と闘う個人は中国に存在するわけだよね。だから、そういう人びとと連絡をつけるのは、中国政府による妨害はあるけれども、不可能なことではない。

だけど、平和問題って、どうなんだろう。自国の軍拡路線に反対する平和運動とか個人って、中国には存在するのだろうか。聞いたことがないなあ。

きっと、人権問題って、まさに自分の人権に直接にかかわることだから、命をかけてでも政府に対峙しなければならないという要素があるのだろう。だけど、平和問題になると、軍事的にも弱小な時期に、まず欧州の列強に主権を侵害され、さらに日本に侵略されたということで、自国の軍備拡張を問題にしないという世論が強固なのかもしれないね。

だけど、だからこそ、中国のなかにそういう世論や運動が生まれることを期待したい。日本と中国の双方で、日本と中国の双方の軍拡を批判する平和市民運動が広がり、その双方の連帯が生まれたとき、両国の軍事的な緊張を打開する道が開けてくるのかもしれない。前途遼遠なのだろうか、それとも近くにまで来ているのだろうか。