2013年7月26日

6年ほど前だったと思うが、「九条世界会議」というのが千葉の幕張で開催された。ノーベル平和賞受賞者などをお呼びして、九条が世界から評価されていることを明らかにする取り組みであった。ちょうど第1次安倍政権ができて、危機感が高まったときだったので、とてもタイムリーな取り組みだったと思う。

私も当時、九条が世界的にどういう意味をもつかに関心があった。いわゆる「一国平和主義」批判が幅を利かせていた頃なので、九条が日本だけのものでなく、国際的に普遍的なものだということを示したかったのだ。

だから、まだ出版社につとめていなかった8年前、「九条が世界を変える」という本を出させてもらった。その直後にこの出版社に再就職して、九条世界会議にあわせて、「5大陸20人が語り尽くす憲法9条」という本をつくったのである。

この10月に、「九条世界会議」が大阪で開かれる。いうまでもなく、6年前の会議の継続である。出版社の一員として、その会議にはブースを出して、本を売りにいくつもりである。

しかし、6年前とは、憲法九条をめぐる情勢は様変わりしている。衆参で改憲勢力がこれほどの議席を獲得し、国民投票が現実のものとなるということは、当時から考えないではなかったが、いよいよかという感じだ。そういう、まさに日本国内の問題が焦点になっている局面で、大事なことの第一番目に九条の世界的な評価を高めることが来るかというと、そういうふうには思えないが、大事な取り組みであることは変わらない。

でも、この会議が大事なことの第一番目に来る場合が、ひとつだけあると思う。それは、尖閣問題をふくめ、日中の軍事的な対立の解決策を打開する道を示せたときだろう。

世界会議なのだから、もしかしたら中国からも代表がくるかもしれない。その場合、中国代表は、当然のこととして、日本が九条を守ってほしいという要望を出すだろうと思う。日本軍国主義に侵略された過去のある国として、当然のことだ。

しかし、もしそれにとどまるなら、否定的な役割を果たすことになるかもしれない。だって、過去のことはつねに自省が必要なことであるが、いま焦点になっているのは、現在の日中関係だからである。

中国がこれだけの軍拡を進めて、尖閣をめぐって軍事的な挑発をつよめているときなのだから、中国の平和市民団体に求められるのは、日本の右傾化の動きを批判するのと同様、自国の動きについても抗議し、異議申し立てをすることだろう。そういうときに、ただただ日本の動きだけを批判するというものになるなら、日本の世論から乖離したものとならざるをえないし、問題の平和的、外交的な解決につながるものにもならない。(続)