2013年7月12日

報道によれば、ロサンゼルス市近郊のグレンデール市議会が、旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する少女像の設置を決めたそうだ。東海岸ではいくつかあるが、西海岸での設置はこれが初めてだそうである。

この問題では、韓国で像が設置されたとき、日本大使館がそれに抗議したことが思い出される。河野談話の線を政府として維持するなら、決して抗議するような性格のものではなかったのに、そんなことをするから、河野談話だって日本の本心ではないだろうというような観測が、世界で広がっていったわけである。

私は、安倍さんに対して、今回、積極策をとることを提言する。アメリカに行って、除幕式に出て、謝罪のことばをのべるべきだと思う。そう、ドイツのワイツゼッカー大統領がやったことを再現すべきだ。

どうせやらないだろうから、それを捉えて批判するのが目的だろうと思われるかもしれない。そうではない。本気でやってほしいと願っている。

というのは、この慰安婦問題を、どう決着させていくのかということを、本気で考えなければならないと思うからだ。橋下さんの問題があって、世論の関心が高まっていることをとらえ、何らかの決着が必要である。

この問題のむずかしさは、日本では過去の歴史と所業にあまり反省のない人たちが政権を構成しているが、その政権のもとで何らかの決着をつけなければならないところになる。だから、どこかで、言葉は悪いが妥協が必要になってくる。

いや、妥協しないで最後まで闘うのだという方もおられるだろう。それは、日本政府の無反省をきびしく批判していくという点では貴重だろう。反省しないことを材料に、何十年、何百年と批判できるのだから。

しかし、この問題は、慰安婦という存在があって、超高齢化していて、生きておられる間に何らかのかたちで心の癒やしが求められるということのなかに、複雑さが存在する。それがなければ未来永劫闘ってもいいのだ。

90年代半ばにアジア女性基金ができて、いろいろな批判があることは承知しているが、総理大臣の名前で人道的な謝罪の気持ちをあらわす手紙が慰安婦に渡されたことで(それなりの謝罪金も渡された)、韓国以外の国では、かなりの慰安婦が癒やされた。実際に涙を流して謝罪を受け入れた方々が存在している。

もちろん、あれだけの非人道的な仕打ちを受けたわけだから、その程度のことで全面的に解決するなどということはありえない。だがそれでも、それらの国では、慰安婦問題が重大な政治的争点になるということはなくなった。もちろん、すでに受け入れた人びとも、さらに進歩した解決策が出てくるなら、それを歓迎するだろう。

アジア女性基金というのは、社会党の村山さんを首相とする内閣ができるという、歴史的にみて特異な時期のできごとだった。それまでの自民党政権では、絶対にできなかったことだろう。それよりもすすんだ政権が、はたしていつできるのか。

一方、韓国でもこの手紙とお金を受け取る人はいたが、韓国社会は、他国と違って、そういう解決を許さなかった。いわゆる法的な謝罪と賠償でなければならないということが、韓国の世論では支配的だったわけである。その残った問題は、どうやって解決したらいいのか。(続)