2013年7月25日

というタイトルで、先日(23日)、読売新聞の報道があった。とても心温まる記事だった。

 「福島県訪問中の天皇、皇后両陛下は23日、前日の大雨により県内で避難者が出たことなどの被害に配慮して日程を取りやめ、この日訪問予定だった同県桑折町の桃農家の人たちと福島市内のホテルで懇談、収穫された桃を食べられた。
 同町の農家では、原発事故による風評被害に苦しみ、冬の間、桃の木1本1本を除染するなど、出荷に備えてきた。両陛下は、「今年はまたおいしいですね」「今後もおいしい桃を作るためがんばってください」などと話されたという。」

福島の農家の方は本当に努力している。この記事では1本ずつ除染するという話だが、それ以外にも、放射線が土のどの部分にたまりやすいので、どういうふうに根を張るものだったらつくれるのだとかという工夫もあるそうだ。しかも、つくった農作物は検査され、安全なものが出荷される。

ところが、そうやって農家の方々が努力して出荷しているのに、農業をめぐっては、いろいろな種類の報道があふれている。危険なものを出荷しているかのように言われたりする。ちょっと私には活字にできないようなことを、平気で発言する参議院選挙の候補者なんかもいた。農家の子どもたちは、自分の親が人を病気にするような危険なものを出荷しているみたいに言われて、どんな気持ちで成長していくのだろうか。

そういうなかでの今回の記事だった。「今年はまたおいしいですね」ということは、昨年も味わったということに違いない。そうやって激励された農家の人びとは、どんなに励まされたことだろう。自分は人からおいしいと言われるものをつくっているという誇りは、農業をやっていく上で不可欠だろう。子どもにも、自分の親はそういうものをつくっているのだということを、是非、伝えていくようにしたい。

戦後の象徴天皇制が国民に支持され、定着してきたことの秘訣が、ここからは見えてくると思う。苦しみのなかで努力している国民に寄り添っているということが分かるように、いろいろな行動が決まり、報道がされていくのだろう。

これが象徴ではなく元首ということになるとどうなるのだろうか。自民党の改憲案では、引き続き「国政に関する権能を有しない」とされ、国事行為も限定されているようだが、現憲法が「国事行為のみ」を行うとされているのを、改憲案は「のみ」をとっているので、こんご、拡大する余地が残っているように思える。

佐藤優さんなんかが心配しているのは、集団的自衛権とかを行使可能になってきて、戦争することが増えてきた場合、宣戦布告はだれの名前でするのかということだ。戦後ずっと心配する必要のなかったことが、九条改訂で現実のものとなっていく。佐藤さんは、天皇の名前で宣戦布告することになれば、天皇制そのものが崩壊することを心配しているわけである。

そういう角度での護憲論なんてのも、必要になってくるかもしれない。ここしばらくの間、憲法問題でどんな本を出すべきか、真剣に検討しなければならない。