2013年7月10日

改憲って、どういうものであっても、現状を変えるというメッセージである。9条を変えるというなら、国防の現状を憂える人に響くだろうし、統治機構を変えるというなら、政治が何もしてくれないと怒っている人を揺さぶるだろう。

全体として、改憲の世論を支えているのも、日本の現状を何とかしてほしいという強い願いである。安倍さんの高支持率を支えているのも、アベノミクスで何とか自分の窮状を打開できるのではないかという期待だろうし、反安倍さんの世論が求めているのも、同じく窮状の打開策なのである。

自民党が改憲によってこれらの層をつなぎ止めようとしているわけだ。そして、具体的な政策も、改憲の中身も、そのめざす方向はグローバリズムに日本を適合させようということである。

となると、護憲の側も、これに対する明確な回答が必要だと感じる。グローバリズム反対で、憲法を守れというのでは、なんだか現状をよしとしているように受け止められてしまうことになりかねない。

だけど、そこが難しいのだと思う。グローバリズムに対して、改革方向として何を対置するのか。

ひとつは、憲法前文の精神だと感じる。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するとか、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」とか、そういう精神である。

これって、平和と暮らしのためには、諸国民のインターナショナリズムが必要だと言っているようだ。グローバリズムVSインターナショナリズム。グローバリズムが跋扈し、各国の国民(アメリカの国民もだ)の人権と暮らしを脅かすようになっているもので、それに対抗するには人民の国際連帯が必要だということを、その具体的な内容とともに打ちだすことが不可欠のような気がする。

具体的な内容ということでは、グローバリズムそのものに反対ということではなく、グローバリズムの生みだす成果というものにも着目する必要があるかも。その成果をどうやったら人民にまでもたらせるのかという提案と構想である。

いずれにせよ、ここでも人権を確固として擁護するという立場から、グローバリズムへの対抗構想を打ちだすのであるから、やはり現行憲法を遵守するという立場が明確にされるべきだろう。前文も各条項も、現行憲法ってやはり時代の先を見通しているんだね。(完)