2013年7月17日

結局、2段階方式しかなかろう。理想的な解決は最終段階のものとして堅持しつつ、安倍政権のもとでも実現可能で、慰安婦にとっても意味のある解決を模索する第1段階を、当面の目標にすることである。

その第1段階の基本的な性格は、やはり人道的な謝罪の段階になるだろうと思う。だが、人道的だからといって、バカにしてはいけない。あのワイツゼッカーの演説だって、どこかに法的な謝罪というものがあるわけではない。人道的な謝罪なのである。

大事なことは、あの演説の言葉が、そして仕草が、ユダヤ人をはじめ多くの人びとの心に響いたことである。そして、河野談話にせよ、アジア女性基金から渡された慰安婦への総理大臣の手紙にせよ、内容的には同じような水準にあると思う。問題は、橋本龍太郎さんから小泉純一郎さんにいたる総理大臣のひとりも、慰安婦に直接会って手紙を渡さなかったことに見られるように、本音ではイヤイヤやっているということが伝わってきて、ワイツゼッカーのようには捉えられなかったことである。

日本政府は、韓国政府が65年の請求権協定の枠内での解決を求めていることを、もっと戦略的に捉えるべきだ。この協定は、植民地支配を違法だと認めておらず、請求権問題も全て解決済みだとしている。その協定の枠内なのだから、慰安婦に対して何らかの謝罪のお金を出したとしても、きわめて例外的なものであって、政治決断で可能なのだ。法的な諸問題について、あらたな考え方は求められない。しかも、韓国政府の求めに応じるかたちで解決するのだから、今後、とやかくいわれることはないはずだ。

しかも、それがもたらす自民党政府への恩恵は、計り知れないものがある。安倍さんにとっては中国包囲網を築きたいのに、韓国まで敵に回っているような状況を改善することが可能になる。慰安婦像に安倍さんが跪いている姿が放映されたら、安倍=タカ派という構図が少し揺らいで、改憲へのハードルが低くなるかもしれない。

なんてことを、安倍流の中国包囲網路線を批判し、改憲阻止のために闘っている私が書いてはいけないかもしれない。しかし、それよりも私は、慰安婦に対して、生きている間に、何からの解決があったと思えるものをもたらしたいと思う。護憲などの課題は、独自の闘いでやっていくべきものだし。

その象徴的なイベントとなるのが、いつ完成するか知らないが、アメリカの慰安婦少女像の除幕式になるのではないか。それに参加して、河野談話の線で謝罪することを求めたい。安倍さんも、この談話を踏襲するといっているのだから、個人的な好悪はおいて、日本の国益を背負う総理大臣ならできるはずだ。いや、しなければならない。

慰安婦にとっては、これで満足ということにはならないのは当然だ。というか、あれだけの人道犯罪の犠牲者なのだから、何があっても「これで解決」というふうにはならない。だが、請求権協定の枠内(つまり失った財産の補償)であっても、日本政府からの拠出があるなら、あれほど批判したアジア女性基金よりは一歩進んだものだとは評価できるのではないだろうか。

慰安婦をめぐってはいろいろな運動団体があるけれど、どこか、そういう提言をするところはないでしょうか。最後の目標を降ろす必要はないので。