2013年11月6日

 中国では、先週の天安門における自動車爆破事件続き、共産党の省委員会前でも爆発事件である。ただ事ではない。

 これをテロだとする見方がある。テロという場合、二つの要素が必要だ。動機に政治的なものがあること(個人的な報復等ではないこと)、手段に無差別性があること(個人的な報復なら対象は明白だが、テロの場合、社会に訴えることが目的なので、対象は特定されないのが普通である)だ。

 この観点で見た場合、後者の無差別性という特徴は、今回の二つの事件は満たしているだろう。社会に恐怖をもたらせばもたらすほど、手段としてはいいものになるので、事件を起こす場所は、めだった方がいいのだし。

 前者は、まだ微妙な段階である。通常、テロ事件を起こした場合、特定の政治目的があるわけだから、犯罪者はそれを世間に明らかにする。犯行声明などのかたちで。

 しかし今回、そのようなものは出されていない。前者についてみても、中国当局が勝手に「ウイグル族のテロであることの証拠がある」と言っているだけだ。実際には政治目的のない犯行だったのに、ウイグル族を弾圧する口実として使うため、当局がでっちあげをする可能性だって存在する。

 ただ、天安門という、中国の権威を象徴する場所を犯行現場に選んだことは、それだけで政治的な目的があることを類推させる。共産党の省委員会の場合は、なおさらだ。だから、テロという可能性もあるとは思う。

 中国のような独裁国家では、選挙で自分の意思を表明することはおろか、言論によって世論に訴えることもできない。だから、何かの政治目的を達成しようとする場合、社会の関心を惹こうと思えば、目立つ手段が必要だということになり、テロに走りがちになってしまう。悲しいけど、それが現実だ。中国の独裁状態が変わる見込みはないから、これからすごいことになっていくかもしれないね。

 だけど、やはりそれはダメだ。テロって、目立つことにおいては秀逸の手段であるが、ただそれだけである。共産党の嫌いな人の溜飲を下げる効果はあるかもしれないが、誰もが殺されるかもしれないという恐怖は、結局、人びとの心を離反させてしまう結果になる。

 倒すべき対象が独裁的であればあるほど、手段は、目立たないかもしれないが、多数の人びとに支持されるものでなければならない。中国の独裁政権というのは、共産党の何十年もの経験を通じて非常に強固で根深いものになっているので、並大抵のやり方では変革することはできないだろうが、だからこそ一歩一歩すすむということが大事だと感じる。

 私も近く、ここでは書けないけれど、ウィグルの実情を探るため、個人的な密使を派遣する予定。その成果が活字になるかどうかは保障できないけれどね。