2013年11月14日

 台風の大被害に遭ったフィリピンへの自衛隊派遣が準備されている。被害の大きさから当然だが、派遣の規模も大規模なものになりそうだ。一刻も早く到着し、一人でも多くの人の命を救い、生きるに不可欠な食料や水を届けてほしい。

 思い出せば、国際緊急援助隊法に自衛隊を組み込むことが決まったあと、最初に自衛隊派遣が打診され国はパプア・ニューギニアだった。98年の津波被害に際して、各国から支援部隊がかけつけ、日本も自衛隊の医官(お医者さん)の派遣を打診したのだが、「必要ない」と断られたのだ。

 パプア・ニューギニアと言っても、ピンと来ないかもしれないが、ここの中心都市はラバウルである。第二次大戦のとき、日本軍はラバウルを占領し、日本軍自身にも13万人の犠牲を出したのだが、現地の人びとの多くを戦争に巻き込み、死なせた。そういう記憶の残るところだったから、お医者さんといえども、日本の自衛隊がやってくることには、少なからぬ拒否感があったのだろう。

 国際緊急援助隊で派遣する自衛隊は、C-130という輸送機を使うことが想定されていて、これは航続距離が短いので、アジアへの派遣が想定されていた。ところが、アジアはどこも日本軍の記憶があるところだから、どこにも行けそうになかった。

 その結果、最初に派遣されたのは、大規模水害で苦しんでいた中米のホンジュラスになった(98年末)。遠いので何カ所も給油しながらしか行けなかったので、到着まで4日間もかかり、「緊急」援助とはならなかったのだけど。

 その後、スマトラ沖の大津波(04年末)に際して、自衛隊は、かつて日本が侵略したインドネシアに派遣されることになる。そして今回、同じくフィリピンということだ。

 侵略から時間が経過し、記憶が薄れてきたということもあるだろう。そういう記憶をふりほどくほど、被害の規模が有無を言わさないということもあるかもしれない。

 しかし同時に、戦後68年間、自衛隊が再び銃口をアジアの人びとに向けなかったという現実が重たいのだと思う。それはやはり憲法九条の力だ。

 派遣される自衛隊は、本当にご苦労だけど、がんばってほしい。そして、現地で歓迎されるとしたら、その背景に以上のべたような事情があることを知ってほしい。そのうえで、だから、アジアの人びとに銃口を向ける可能性を拓く集団的自衛権だとか、国防軍だとか、そういうものはおかしいという思いを、今回の派遣を通じて自分のものにしてほしい。そのことを痛切に願う。