2013年11月12日

 先日、教研集会なるもので講演した。領土問題である。2年ほど前に領土問題の本を出して以降、学校の先生が主体になった会に呼ばれたことはあるけれど、教研集会というのは生まれて初めてで、ちょっと緊張。

 でもやはり、これだけ尖閣や竹島の議論がさかんになっているわけで、先生たちも大変だよねと感じた。少しでもお役に立てたならうれしい。

 そこでお話ししたのだけれど、この問題、ナショナリスティックな議論が優勢を占めているように見えるけれども、そういう議論って、問題の解決に役立たないどころか、解決を妨害するところに本質がある。その点をおさえることが大事だと思う。

 たとえば、そういう議論は、植民地支配や従軍慰安婦などの事実を否定する議論と結びつく場合が多い。「お前ら勝手なことを言うな!」「日本は悪いことをしていない!」という議論である。そして、領土問題でも、相手の主張が間違っていることを声高に叫ぶわけだ。

 そんなことを主張して、少しでも領土問題の解決に向かうのなら、どんなに大声で叫んでもらってもいいのだ。だけど、そうはならない。竹島にしても、植民地支配の過去を認めないような議論をすれば、相手はますますかたくなになって、解決は遠のいていくばかりだ。

 結局、そういう議論をする人は、竹島問題を実際に解決することには関心がないのである。大声で叫ぶことでスッキリしたいとか、そんな程度のことが望みなんだろうと思う。

 竹島問題を少しでも動かそうとすれば、韓国の人びとの多数の気持ちが変わることが不可欠だ。「日本人の言うことには道理があるな。竹島の領有権についても再考しなければならないな。そのために韓国政府の考え方を変えないとダメだな」と感じる状況をつくる必要がある。

 そして、そのためには、植民地支配の認識と竹島問題について、ちゃんと語る必要があるわけだ。植民地支配それ自体については、本質的な反省を明確にし、同時に、竹島といういのは、植民地支配とは無縁ではないにしても、それとは別の論理と手段で獲得した島だということを、どう説得できるかが、この問題を動かす唯一の方法である。

 だから、この問題では、ナショナリズムというのは、まったく国益に反するものだ。国益を守れるのは、植民地支配についての深く、正確な理解があり、表明できる勢力だけだということに自信を持つ必要があると思う。