2015年1月23日

 私の出た大学の同窓会は、名前を如水会といいます。いちおう会員にはなっていますが、卒業生の多くは商社や銀行などに勤めていて、私がいろんな催しに出ても、話がかみあわないかなあと思って、これまであまり熱心ではありませんでした。

 だけど、つきあいの幅を広げないとダメだと思ったし、京都に常駐するようになり、京都に骨を埋める覚悟をしたわけだし、一度ご挨拶がてらと思ったんですね。それで昨夜、年次総会に出たのです。

 昭和30年卒業の方から(22歳で卒業とすると80歳を越えておられますね)、平成17年卒業の方まで、20数名が参加しておられました。いや、たくさんの社長さんですとか、大学教授の方とか(名誉を含む)、あるいは府議会議員の方とか(国会議員秘書も)、いろんな方とお知り合いになれました。

 最初の出席者は自己紹介しなければならないということでした。まあ、中途半端に出版社の編集長ですなんて言っても、存在感がないだろうと思って、大学入学以来の経歴をカミングアウトしちゃいました。

 その大学で史上はじめての(というか、その後も誰もいないので「唯一の」ですが)全学連委員長をやったこと。革マル派とか三派とかの「全学連」とは違い、現役学生だけが役員になれるというきびしい(当然の)規約があるため、単位はすべて取ったのに卒論を出さないで留年したこと。それでも卒業年度になったので、引き続き学生資格を得るために学士入学したこと(社会学部から経済学部へ)。学士入学試験は学部長面接なんですが、相手もこちらが学生運動するための入学だと分かっているので、狸のだましあいのような面接だったこと。共産党に勤め、参議院の比例代表の候補などもやったので、世が世なら、本日は国会議員としてのあいさつになったかもしれないこと。退職して出版社に移った経過。その経過から、憲法9条も自衛隊も活かすという立場にこだわって、出版もその他の活動もやっていること、等々です。

 いやあ、「こんなヤツがこれからも来たら困るなあ」なんて思われるようだったら、今後は控えようと思ったんですけど、とっても好評でした。話も弾んで、昔はブンドだったけど、いまは共産党もいいと思っている方とか、自分は保守だが娘は新婦人という方だとか、昔は共産党だったがいまは創価学会だという方とか、楽しいお話ができました。共通の知人(先輩で、私にとっては政治的な宿敵なんですが)に連絡をとるから、いっしょに会おうという約束もしてきました。

 ウィングを伸ばすのがこれまでのやり方でしたが、もっと伸びそうな気がします。みなさん、9条も大事だし、防衛も大事だと言っておられました。中国をはじめ海外で仕事をしていると、そうなるんだと思うんですよね。

2015年1月22日

 美味しんぼで問題になりましたが、福島のおコメは安全か、食べられるかという問題は、いろいろな議論を引き起こします。私なんか単純ですから、測って問題ないのだから、当然食べるでしょという立場です。福島以外のコメは測られていないわけで、そっちの方が危ないかもしれないと思ってしまいます。だけど、多くの人にとっては、そう簡単な問題ではない。

 それに対して二つのアプローチがあると思います。一つは、科学的にどうかということを極めるということです。弊社の本で言えば、昨年末に出した『放射線被爆の理科・社会』がそれにあたります。放射線防護学や医学、生物学などの専門家が、科学的知見にもとづいてアプローチするわけです。これは、科学的思考を優先する人にとっては、効果的なアプローチだと思います。

 一方、よく安全と安心は違うと言われますが、実際に食べられるかどうかは、「心」の問題です。科学的には大丈夫と言われても、受け入れられない「心」があるわけです。

 その理由にはいろいろあって、原発事故で明らかになった科学者不信という問題もありますし、いまだにネットで流れる非科学的な情報という問題もあります。それはしかし、一つ目のアプローチで克服していかねばならないことでしょう。

 それ以上に私がこの問題の核心だと思うのは、「なんとなく受け入れられない」という「心」です。3.11直後、泥憲和さん(弊社の『安倍首相から「日本」を取り戻せ』の著者)が話していて印象に残っているのですが、たとえばケーキにハエが止まったとして、その部分を取り除けば食べられる人と、それでも食べられない人がいる。なるほどなあと思いました。

 そういう人に対して、ハエの汚染物はケーキの他の部分には届いていないと、いくら測定して言っても、やはり受け入れられないでしょう。科学の問題ではないのです。

 それだけではなく、そういう人に「安全が確かめられたから食べてほしい」というと、きっと押しつけられているように感じるのではないでしょうか。逆効果になると思うのです。

 三浦さんの本は、そこを突破するものになると思います。コメをつくっている本人が、「安全だけど、食べなくていいですよ」と言うのですから。「あなたが食べてくれる気持ちになるまで、ぼくは毎年毎年、安全なコメをつくり続け、測り続けます」。そう言うのですから。

 なんと言ったらいいか、福島の農民は自分のことを考えてくれているんだなというような、そんな信頼感を持たせてくれるような本です。そういうアプローチも大事だと思うんです。(続)

2015年1月21日

 昨日の記事の続きは、明日にまわします。本日はイスラム国による人質問題。

 昨日、新幹線のなかで、このニュースを知りました。びっくりしたのは、やはり、イスラム国が出してきた要求が「おカネ」だったことです。さらに報道が続くにつれ、もっとびっくりしたのは、イスラム国が日本の中東諸国への経済支援を批判していることでした。

 テロって、何がその他の犯罪と異なるかといえば、動機の違いにありますよね。個人的な報復とかいうものではなく、何らかの政治的、宗教的等々の動機で行われるところに、この犯罪の一番の特徴があります。

 だから、これまでテロ集団が人質をとったときは、政治的な要求を出してきたわけです。「牢獄に入っている仲間を釈放しろ」とかいうヤツです。今回にいたる経過でも、イスラム国は「空爆をやめろ」と言ってきました。

 それが今回、「1人あたり1億」というんですからね。えらく世俗化したんだなあという感想を持ちました。

 まあでも、人質の解放という面からみれば、交渉が成り立ちにくい原理主義者と比べ、「いくら払えばいいんだ」(実際に払うかどうかは別にして)という交渉ができるわけです。いい言葉が見つかりませんが、助かる可能性はあると思います。

 これは水面下の交渉になるわけで、あれこれ想像して政府の対応を批判しても仕方がないんですね。見守って、ことが終わってから、ちゃんと検証すればいいと思います。

 安倍首相が経済支援をしていることの責任を云々する議論がありますが、これはぜんぜんダメでしょう。問題外です。

 イスラム国が日本の経済支援を批判したというのは、とっても大事なことを意味していると思います。テロ集団は、空爆よりも何よりも、中東諸国の人々の暮らしが向上することを嫌っているということです。

 9.11テロ以降、左翼的な人々は、テロの根源は貧困や格差にあるのだから、戦争ではなくそこを充実させろと言ってきましたよね。それをテロ集団が証明してくれたようなものです。人々の暮らしが向上すると、テロ集団は策動しにくくなるわけです。

 それが証明されたのに、テロの標的になるから経済支援をやめようということになったら、人々の暮らしは改善されず、テロの温床が広がるだけですよ。テロに屈した上でそんなことになったら、目も当てられません。

 日本が戦後、国際貢献として経済援助を中心にやってきたことは、一部の人にとっては日本の臆病さの象徴だったわけです。しかし、じつはそれこそが戦争を終わらせる上で大事だったということが、9.11テロ以降、証明されてきたし、今回はテロ集団の言明によって明らかにされたということだと思います。

 集団的自衛権というのは、その方向と逆行することに大きな問題があるわけで、安倍さんを批判するとしたら、そういうものでなければなりません。どうでしょう。

2015年1月20日

 2月に出すのがこの本です。サブタイトルは「三浦広志の愉快な闘い」。著者はかたやまいずみさん。

 三浦さんは、福島県南相馬市小高区で3世代つづく農家の方です。そう、福島第一原発から12キロくらいのところです。当然、そこで農業をやることはできず、北に50キロのところ(新地町)で、息子さんとともに農業を再開しています。

 私が1年目の3.11は福島で過ごすのだと決めて、浜通りの人たちに呼びかけ、蓮池透さんの講演会と伊勢﨑賢治さんのジャスヒケシをやることになって、その現地実行委員会をつくったのですが、そこに参加してくれました。当時は、農業を再開するかどうか、まだ決断していなかった時期です。

 2年目の3.11のとき、福島の農産物の直売所でもある野馬土(のまど)というのをつくっていて、放射線量を測って、安全性を確かめたものを売るということをやっていて、そこに案内してもらいました。それだけじゃなくて、原発被災地を視察に来る年間2000人以上の案内をしています。

 いつも生き生き明るい方で、こっちが励ましに行っているのに、逆に励まされるんです。本のサブタイトルとおり、愉快で、不思議な方です。3.11の直後、東電の東京本社前で、福島の農民が牛を連れてきて抗議集会をやったでしょ。それを発案した方でもあります。

 3年目の3.11のとき(1年ちょっと前ですね)、コメをすでに作っていて、野馬土で見学している私たちに三浦さんが、コメの放射線量を検査する機器を前にして言いました。それがこの記事と本のタイトルにもなっている言葉です。

 『福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です。』

 バカじゃないかと思いましたよ。だって、私たちは、安全なコメをつくるために努力している福島の農民を激励に来ていて、安全性を確かめたものは食べてほしいよねと思っているんです。

 三浦さんだって、それまで一生懸命、無農薬のおいしいコメをつくってきて、それが新婦人の方とかに評価され、産直で利益をあげる仕組みをつくってきたのに、誰も買ってくれなくなった。福島の農民は、どうやったらセシウムをすわないコメができるか、いろいろ試行錯誤してきて、努力をしてきて、それを毎年、コメ全袋の検査をして(1000万袋以上です)、確かめるんです。そして、ようやく今年、すべての袋で国基準をクリアーしたんです。

 だから、『福島のおコメは安全になりましたから、食べてください。』というのが、農民の口から出てきて当然なんです。だけど、三浦さんがおっしゃったのは、違う言葉だったのです。

 なぜだろうか、なぜそんなことが言えるのだろうか、そこを取材してつくってもらったのが、今回の本です。(続)

2015年1月19日

 昨日は京都で内田樹先生の講演会があり、200名満席の盛況でした。月初めには事前予約人数を突破して締め切ったので、このブログでご紹介することも控えたほどです。

 いやあ、すごい講演でした。タイトルは「日本人はいつまで「戦後○○年」と言い続けるのか」でして、イタリア、フランス、ドイツ、日本の敗戦論を比較しつつ、そこに鋭く切り込んだお話です。110分ほど話し続け、質疑の時間もたっぷりとお話しされました。

 いろいろな要素から成り立つお話ですが、たとえば日本の場合、悪いのはA級戦犯で国民も被害者という構図で切り抜けようとしたけど、その物語が通用しないというのが、現在の問題点だということでした。これだと、高市早苗さんのように、「自分の世代は関係ない」という言い方が通用してしまう。そうではなくて、こんな考え方が必要ではないかということを提示されたわけです。先生がこういう角度でお話しされるのは、おそらく初めてではないでしょうかね。

 内田先生、今年は基本的に講演会は断るとされています。実際、私もいくつか仲介を頼まれましたが、すべて断られています。そのなかで実施された貴重な講演会ですので、何らかの形で読者のみなさんにお伝えできればと思っています。しばらくお待ちください。

 で、朝、東京を出て講演会で司会をして、懇親会。その後、夜8時過ぎの新幹線でまた東京に来て、明日まで、いろいろ仕事をします。ということで、あまりに忙しくて、ブログの記事を考える余裕がありません。なので、近く出す本の紹介だけ。

 まず、これです。『文化面から捉えた東日本大震災の教訓』。サブタイトルは「ミュージアム政策から見る生活の転換」です。

チラシ東日本大震災と文化

 阪神大震災を期に、大きな災害が起きたとき、まず初動段階で文化面での被災状況を捉えたり、可能な場合は必要な救援をしたりという機運が高まっているんですね。それが今回の東日本大震災ではかなりやられたようです。

 この本は、まずそれを紹介しつつ、都道府県別、問題別に被災の実態と復興の課題を明らかにしたものです。予告しているように370ページ程度になりますが、これほど包括的に明らかにしたのは、この本が最初ということになるのではないでしょうか。