2016年11月2日

 共産党は全千島の返還を求めましたが、千島はサンフランシスコ条約で日本が放棄することを約束しており、法的には説明できないことでした。そこで共産党は、千島放棄を決めた「サンフランシスコ条約第2条C項の廃棄」という方針をとります。

 私などは若い頃、共産党が社会主義の総本山であるソ連と徹底的に対決していることで、共産党に対する信頼を深めていました。千島問題でも政府や他の政党が「4島」で満足しているなかで「全千島」と言っていて、かつ平和条約の廃棄という過激な方針をとっていることで、「すごいなあ」と感心していたわけです。

 しかし、この方針は、共産党に近い学者、とりわけ国際法学者からは評判が悪かったようです。何と言っても、廃棄する対象が「平和条約」です。その条約を結ぶことでようやく戦争を終わらせたと思っていたら、共産党がそれを一部分とはいえ廃棄するといっているわけですから、心穏やかではいられなかったのでしょう。「それで戦争になったらどうするのだ」というわけです。

 しかも、実際にどうするのかということになると、とっても複雑です。サンフランシスコ会議で何十か国が集まって決めたものですから、「これを廃棄したよ」と各国に通告して終わりというわけにはいかないでしょう。条約の一部を廃棄するかどうかを決めるため、大がかりな国際会議を開くなどということが果たして可能なのか、否定的な見方が強かったわけです。

 ただし、条約の関連条項を廃棄するという方針は、21世紀になって以降、共産党の方針ではなくなります。たとえば、2001年4月13日に政策委員会と国際局の連名で出された論文は、「サンフランシスコ条約の千島関連条項を日ロ交渉の不動の前提としないこと」というような表現に変わっています。そして、「廃棄」という方針をとらない理由として、次のようにのべています。

 「サンフランシスコ条約の個々の条項に明記された内容がその後、条文の公式な取り消しなしに、実際に変更された事例はあります。たとえばアメリカは沖縄の施政権を確保しましたが、1970年代はじめに、米軍基地の問題は残されたものの、施政権は返還されました。沖縄の祖国復帰が沖縄県民をはじめとする国民的な強い要求と運動によってかちとられたことは、周知のとおりです。」

 サンフランシスコ条約は、千島を放棄した2条C項では、「すべての権利、権原」を放棄するとして、千島の主権そのものを放棄しています。一方、沖縄については、「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部」をアメリカがにぎると書いているだけで(第3条)、主権の問題は明示していません。だから「潜在主権」は日本にあるという解釈も出てきたわけですが、いずれにせよ両者には大きな違いがあります。ですから、両者を一緒にしていいのかという問題はあるわけですが、とにかく「廃棄」方針はとらないことになったのです。

 この方針が出る直前、党首だった不破さんが自著で、沖縄のことを例に挙げて、「廃棄」という方針をとらないと表明されたのです。「廃棄」でなく「立ち枯れ」にするのだということでした。本では「立ち枯れ」でいいでしょうが、政策の用語ではないので、上記のような表現になったのだと思います。

 ところが、それから15年が経ち、先月に出された新しい見解では、再び「廃棄」という言葉が使われています。「「サ条約」の千島関連条項を廃棄・無効化」ということでした。

 この「廃棄」が何を意味しているのか、かつての方針への先祖返りなのか、よく分かりません。「廃棄」という伝統のある言葉を使っているので、普通なら元に戻ったということになるでしょうが、その理由の説明のなかでは、「廃棄」方針を取り下げたときと同じく、条約が変わらないのに沖縄が返還されたことをあげており、条約は変えないままというようにも思えるからです(なお、先ほど説明したように、3条が沖縄の「主権」を否定したというものではありません)。

 「いったん結んだ条約を廃棄・無効化することは、決して不可能ではない。サンフランシスコ平和条約についても、第3条は、沖縄に対する日本の主権を否定しており、廃棄の手続きはとられていないが、この条約の壁を超えて、沖縄の本土復帰は現実のものとなっている。いったん結んだ条約であっても、そのなかに国際的な民主主義の道理にてらして問題点があれば、それを是正することはできるのである。」

 北方領土をどうしたら取り戻せるのかは、政府だけでなく、日本の政治勢力のすべてにとって、かなりやっかいな問題なんですね。何か不動の正しい方針があるという前提ではなく、現実をふまえた柔軟な対応が求められると感じます。