2016年11月28日

 来年はロシア革命100年ということで、企画の売り込みもあるし、自分としても出したい本がある。ということで昨日、そのご相談だった。

 ここ数年、社会主義者の間でのトレンドは、マルクスは正しかったのにレーニンがそれを歪めたというものだ。レーニンが間違わなければマルクスは正しく理解され、いまも高い生命力を誇ったであろうというもの。

 しかし、それは逆だろうと思う。いま少しでもマルクスの名前が残っているのは、レーニンのおかげである。レーニンがロシア革命を成功させたから、マルクスの主張が現実の歴史の中で証明されたということになり、マルクスの名前が特別の存在として残ることになったわけだ。マルクスにできなかった革命ができたというだけでも、マルクスはレーニンを超えられない。

 もし、ロシア革命がなかったとしよう。もしかしたら、マルクスの主張は誰からも改変されることなく、マルクスの主張のままで正しく残ったかもしれない。だけど、それって、誰もマルクスに注目することもなく、解釈を加えるほどの魅力もない存在として生き続けたということに過ぎない。

 そう。ロシア革命がなければ、マルクスは、オーウェンやプルードンなどの同程度の、何十人もの思想家の一人として記憶されるだけだったろう。本当にその方が良かったのか。 

 革命とか変革を望まない立場なら、それでもよかろう。あるいは、革命とは正しい思想が残り、広がって達成されるものであって、権力を握ることは関係ないという立場なら、それでもよかろう。

 しかし、目の前にツアーの専制政治があって、苦しむ人々がいて、戦争が開始されていて、そこを打倒するチャンスがあったとして、まだ権力を握るほどにはロシアは到達していないという立場を取るのだろうか。そこから逃げたとしたら、革命家として許されないことだ。

 権力を行使する際に、たくさんの誤ちがあったことは事実だ。例えば市場経済をどう評価するかという問題もその一つ。当時の文献を読んでいると、社会主義で貨幣がなくなるのはあまりに当然と考えられていて、その単純さにびっくりするほどだ。

 しかし、社会主義と市場経済というのは、今でもなおマルクス主義者の間で論争がある問題で、マルクスをちゃんと読んでいれば間違わなかったという問題ではない。

 それに、レーニンだって、権力を取ってそこにまっすぐ進んだわけではない。当初の目論見とは異なり、余儀なく「戦時共産主義」を採用し、「共産主義ならこうだ」ということで、市場経済の否定に進んでいった。

 それをレーニンのせいにして、マルクスは正しかったのになどと言っても、何の意味もない。マルクスは正しかったという人は、例えばいま、自分が日本で権力を取ったとして、株価をどうするとか、金利をどうするとか、正しい答えが出せるのだろうか。それとも権力を取るほどには、まだ成熟していないと言うのだろうか。

 本日は国会図書館関係。ではまた。