2016年11月22日

 今年の夏、パソコンが何回も熱で暴走して(会社の部屋でクーラーをつけているのに)、その結果、まだ4年半しか経っていないのに、買い換えました。本日、以前のパソコンのデータ、アプリを移動する作業のため、ブログは簡単に。

 移動はマックのタイムマシーンを使うので簡単なはずですが、はじめて使うし、アドビのCSなどのアカウントの移動などもあるし、モリサワのフォントを使えるようにするにも手間がかかりそうです。本日は、パソコンを横目に見ながら、来年1月刊行予定の『対米従属の謎』の校正作業です。

 この日曜日、神戸の三宮で、『「日本会議」史観の乗り越え方』と題して講演してきました。文化関係の団体が主催で、集まる方もさまざまでした。なんと、兵庫県のある市の自民党の市議会議員さんも来られていました。先日、最近当選したばかりの共産党の町会議員の友人と会う機会があったのですが、所属委員会でいちばん親しくしているのが「日本会議」のメンバーでもあるとか。「これに属しているからこういう人」という決めつけなしにお付き合いすることが大事ですよね。

 ところで、その講演でお話ししたことですが、対立構図をどう捉えるのかが大事だと思います。というか、「客観的にこうなっている」と捉えるということでなく、みずからどう主体的に対立構図を築いていくのかです。

 よくお話しすることですが、憲法問題では、90年代までと現在とでは、明確に対立構図が異なっているわけです。以前は、政策的に言うと、護憲派は「非武装中立」が基本でした。一方、政府は、九条の規定を踏みにじって自衛隊を創設し、増強し、「自衛のために必要最小限度の実力は憲法の否定するところでない」として、解釈改憲をしてきた。そして、政策的に言うと、「専守防衛」を掲げた。

 この結果、「九条を貫く非武装中立」VS「解釈改憲による専守防衛」が対立構図だったわけです。しかし、現在、護憲派は、この対立構図で闘っているわけではありません。「解釈改憲による専守防衛」が二つに分かれて、片方が明文改憲と集団的自衛権の行使のほうへと向かい、もう片方が護憲派の傘下に入っているわけです。ちょっと単純化していますけど。

 こうやって実際に闘いのあるところでは、実際の現実に合わせて、我々は対立構図を変えてきた。そうやって多数派を結集しようとしてきたわけです。

 ところが、歴史観みたいなイデオロギー色の強い分野では、護憲運動のように必要性に迫られて考えることがあまりないために、過去の対立構図がそのまま続いているように思います。東京裁判についていうと「文明の裁き」VS「勝者の裁き」ということですし、「反省したドイツ」VS「反省しない日本」という構図もそのままです。

 その辺りをどう考えるのか。講演でお話ししたのですが、さて、どう受けとめられたでしょうね。では、作業開始。