2016年11月9日

 米大統領選挙の結末は明白になってきましたが、書くのは明日にしましょうね。いま執筆中の『対米従属の謎』(平凡社新書、来年2月か3月刊)の「まえがき」と「あとがき」は、この選挙の結果を踏まえて書くことにしていたので、考えるべきことが多いです。出版界でもいろいろ新しい本が求められるでしょうね。

 ということで、本日は緊迫した局面と関係のないお話を。9月末に上梓した『「日本会議」史観の乗り越え方』についてです。

 すでに大阪の革新懇に呼ばれてお話をしてきました。兵庫の九条の会からも依頼がありました。やはり、日本会議について講演する人って、まだ多くないようですね。しばらく頑張らなくちゃ。

 この本に関連してお二人から手紙を頂きました。まったく立場が異なる方です。

 一人は芝原拓自さん。言わずとしれた歴史学の大御所ですよね。私が大学に入ったとき、ちょうど『所有と生産様式の歴史理論』が出た直後で、難しかったけれど、その問題意識の鋭さに圧倒された記憶があります。『世界史のなかの明治維新』(岩波新書)も、新しい明治維新の描き方を提示していて、興奮しました。

 その芝原さん、ご病気でしばらく本を書いておられませんが、私の本に目を通してくださったんですね。お手紙の冒頭で、「なによりその迫力・説得力が最大の魅力です」と評価してもらいました。

 芝原さんも、この間、日本会議の批判をしてこられたそうですが、私の本を見て、「「日本会議」史観の特徴をほとんど識らないまま、岸信介や安倍晋三を批判しつづけたこと」を後悔しているとおっしゃっています。そこをくみ取っていただき、うれしいです。日本会議の書いていることをほとんど読まないまま、とにかく右翼だから批判するみたいな風潮があって、それをなんとか克服したいというのが、私の願いです。

 もう一人は、お名前は付せますが、日本会議の有名な役員の方です。活字にならない講演会では、お名前も中身も出すんですけど、さすがに活字にするとご迷惑をおかけするかと思って。

 この方がおっしゃるのは、こういうことです。「両極のはずの松竹さんと私とで、実は意見の相違は実質30%程度。ただ、その30%をどうとらへるかで、全体の結論が逆になる──そんな印象をこのご著書についても持ちました」
 
 そうなんですよね。立場が違うとはいっても、何から何まで違うわけではありません。日本会議の方と論争する上でも、「ここは違わない」ところは明確にしておかないと、有益な論争になりません。

 たとえば、日露戦争やアジア・太平洋戦争における日本の役割を、アジアの国々の指導者で評価する人がたくさんいます。左翼的な人は、そういうことを提示されると、「それはウソだ」ということになりがちなんですが、事実としてそういう人はいるわけです。アジアは西洋の植民地として支配され続けていたわけで、日本がそこに風穴をあけたことについて、当時、率直にうれしいと思った人は少なくなかったと思います。

 だから、そこは日本会議と違わないと言っていいわけです。しかし、「全体の結論は逆になる」わけです。評価される部分があっても、日本の侵略戦争であったことは間違いない。

 日本会議が歴史のシンポなどをやるとき、もしかしたら呼ぶことも考えてくださるそうです。いまから緊張しています。

 論争は、やはり勝てるところでやらないとダメだと思います。そこをどう見つけだすかですよね。まあ、学問としてはいろいろあるでしょうが、政治の場で通用させるには、そういう見地が求められるということでしょう。