2015年3月31日

 沖縄に先ほど仕事のメールを出したら、「いま大浦湾の船の上!」って返事が来た。本当に毎日が緊迫しているよね。

 この問題は、どこまでいっても、法律の枠内での争いにとどまっていると、形式的な合法性は国の側にあるということになる可能性が高い。前知事による埋め立て手続き許可に瑕疵がなかったかどうかを第3者委員会が検証し、承認を取り消す案が議論されているが、これとて防衛省が国土交通大臣に不服審査を申したてることができるため、今回、農水大臣が沖縄県の指示を停止したのと同じような結果になる可能性が高いわけである。しかも、もし法律の方に沖縄にとって有利なものがあったとしたら、国会における3分の2で法律を改正してくるだろう。

 だから、結局この問題は、最後は実力勝負になると思う。身体を張って基地建設を阻止するという闘いになる。留置所の定員を何倍、何十倍も超えるほど警察に拘束される人が大量に出るとか、そのなかに県知事をはじめ沖縄の全国会議員、全市町村長、そして全国的な有名人が大量に含まれるとか、そういうふうになってアメリカや安倍さんがうろたえるという局面をつくりだしていくしかないだろう。

 そういう局面がやがて生まれるとして、いま現在の闘いの意味がどこにあるかというと、その局面で身体を張った闘いに国民の支持が集まるようにするところにある。国が「合法性」を売り物にしてきたとしても、「あまりにもひどいよね」「いくら合法でも国民多数の願いを踏みにじるのは民主主義とは言えないよね」「そんな合法性より憲法の原則の方が大事でしょ」と多くの人が思うようになり、拘留されている側への支持が広がることが、アメリカと安倍さんをうろたえさせることになっていく。そういうことを頭の隅に置いて、現在の闘いを組み立てることが必要になっていくと思う。現在は、本番の前の準備期間。

 だから、私としてやるべきは、国民世論づくりの一環として、まず出版の分野からの闘いへの参加だ。「さよなら安倍政権」シリーズは、急な呼びかけにもかかわらず、すでに10冊の目処が立っている。そのうち報告するけれど、党派を超えて(保守から中道、革新まで)著者が名乗りをあげてくれている。うれしいな。

 もうひとつ、その局面になったら、自分も実力闘争に参加するつもり。私がいま拘留されても、何のニュース価値もないので、これから少しでも価値をあげる努力が必要である。テレビのある有名キャスターが、私の本を読んで「会いたい」と連絡してきたので、明日、東京出張の際、お会いする予定。

2015年3月30日

 安倍さんのこの発言で、「いよいよここまで来たか」と指摘する人が多い。でも、この発言、護憲派自身がどうするかこそ問われる性格のものであるように思う。

 というか、護憲派のみなさんにとって、自衛隊は「軍」なのかどうかということだ。そこをあいまいにしたままでは、安倍さんを追及しても、あまり迫力がない。

 自衛隊が軍隊であることは、護憲派にとっても常識的なところであろう。だから、従来型の護憲派は、自衛隊=軍隊=戦力なので、これを違憲だとしてきたのだと思う。

 つまり、一方の護憲派は、自衛隊を「軍」だと位置づけ、「軍だから違憲だ」と追及してきた。他方の政府は、「軍じゃない」とのべ、「だから違憲ではない」と追及をかわしてきた。これが基本的な構図である。

 だから、安倍さんの発言は、これまでの政府答弁を大きく踏み越えてはいるが、護憲派と同じ認識を述べただけなのだ。それを「正直」と見るか、「開き直り」と見るかでは、人により見解が異なるだろうけれど(なお、当然のことながら、自衛隊のことを「我が」ものだと言える護憲派はいない)。

 護憲派が問われるのは、安倍さんのように、政権をとったときである。国民の多数は、あるいは護憲派自身も、護憲派が政権をとれるとは思っていないので、非現実的な想定だと言われるかもしれないけど、そこは措いておいて、政権をとったときにどうするか考えておかないと、安倍さんを国会で追及したとき、逆襲を受けることになる。

 政権をとったとき、いくつかの選択肢がある。護憲派であるあなたの選択はどれだろう。

 一つ。自衛隊は「軍」だから、憲法違反であって、直ちに解散するのだろうか。だけど、いま見渡してみても、自分たちが政権をとったら直ちに自衛隊を解散すると堂々と主張し、選挙で国民の信を問う政党はひとつも存在しない。それなのに、選挙で公約しないことを強行するとしたら、公約違反じゃないかということで大問題になってしまう。

 二つ。あるいは、政権をとった場合、安倍さん以前の自民党と同様、自衛隊は軍ではありません、だから違憲ではありませんと主張するのか。でも、それだと、自衛隊は軍だと主張している現在の態度と整合性がとれず、野党になった安倍さんから突っ込まれることになるよね。

 三つ。それとも、政権をとった場合、自衛隊は軍であって、憲法違反なのだ、だけれども直ちにはなくさないという態度をとるのか。でも、それだと、政府が憲法違反を自覚していて、堂々とやっていることになる。

 小泉さんがイラクに自衛隊を派兵したとき、国会論戦を見ながら痛感したことがある。それは、政府というのは、自分が憲法違反をしていると認めてしまっては、絶対に政権を維持できないということだった。

 国会でのやりとりを見ていて、小泉さんは間違いなく自衛隊のイラク派遣は憲法違反だと心のなかでは思っていたと感じた。NATOが集団的自衛権の行使だと宣言してやっているのと同じ後方支援を自衛隊がやるのだから、誰がどうみても、自衛隊は集団的自衛権を行使していたのだ。だけど、それを認めたら政権がもたないことがはっきりしているので、小泉さんは「そこが難しいんですよ」と逃げたのである。

 護憲派が政権をとる場合、選挙で自衛隊の廃止を公約にかかげて多数を得るのでない限り、同じことが問われるのだ。いや、護憲派を自負している分、自衛隊を少しの期間でも維持するとなると、「護憲派は憲法違反を堂々とやっている」ということで、嵐のような批判にさらされるだろう。政権が維持できるとは思えない。

 この数年間、この問題でずっと悩み続けてきた。最近、ようやく燭光が見えてきたような気がするけど、それはもっと深めたあとで書きます。

2015年3月27日

 ブログで3回連続で書評を書いたりして、今週はヒマなのねと思われたかもしれない。他の出版社の本を書評したわけだしね。

 だけど、ホントはすごく忙しかったんです。前半は福島に行っていたし、後半は大阪を2回も訪ねたし。

 福島は、『「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟』関連です。24日に裁判があったのですが、その前日に行って、弁護団の方に、翌日の裁判で争点になることなどについて事前レクを受けていました。

 いやあ、裁判って、一つひとつが「激突」なんですね。争っている内容についても、国と東電がどうでてくるかを想定し、念入りに準備がされるわけですが、裁判官の人事などをめぐっても、いろいろな「激突」があったりして、裁判に関わっているものとして、身の引き締まる思いでした。

 翌日は朝から裁判が行われましたが、私は、裁判の傍聴に入れない何百人のために用意した講演会が担当です。というか、講師の浜矩子さんの担当。裁判の状況を説明したり、今後も続く講演会をまとめて本にする打合せをしたり、その他その他。

 12時30分から原告団の集会がやられましたが、浜さんはそこで挨拶し、裁判所まで一緒にデモ行進もしてくれました。ありがとうございます。

 講演は、テーマが「原発再稼働で日本経済はよくならない」。浜さんの講演を聴くのは初めてなんですが、いや中身も話し方も、聴衆をすごく惹きつけるものでした。経済とはそもそも何のためにあるのかという問いかけでしたが、いま日本経済を論じるときは、こういう視点が不可欠ですよね。今後、白井聡さん、藻谷浩介さん等々と講演が続き、それらがまとめて本になる予定ですので(来年の3.11あたりに)、乞うご期待です。

 この日、夕方まで福島にいたんですが、講演が終わったら、すぐに東京へ。そして京都へと帰ってきました。翌日朝から会社の会議があったもので。

 そして夜は大阪へ。6月20日(土)に開催される「自衛隊を活かす会」の関西企画のために、いろんな方々が「成功させる会」をつくってくれたのです。

 「活かす会」の趣旨を説明し、企画に向けたチラシについてご意見を頂き、いろいろ議論してきました。600名の会場ですが、一杯になるかなあ。

 「成功させる会」の代表としてお名前を出してくださるのは、以下の方々です。梅田章二(大阪中央法律事務所)、小笠原伸児(京都法律事務所)、羽柴修(中神戸法律事務所)。よろしくお願いします。

2015年3月26日

 それで、この本、福島高校の高校生を相手に講義をして、それをまとめたものなんです。大人を戸惑わすようなこんな話を満載していて、高校生がついて行けるのかって、心配になりませんか。

 そうじゃないんですね。私も体験があります。伊勢崎さんと一緒に自衛隊を活かす会の呼びかけ人をやっている加藤朗さんにお願いして、『13歳からのテロ問題』をつくったことがあります。

 これは実は、中学生が相手なんです。和光中学の生徒10名程度を対象にして、加藤さんが2回の講義をしたものです。

 もちろん、こういうテーマで話しますよと言って希望者を募るわけですから、関心のある生徒が集まるということもあるでしょう。だけど、よく考えてはいるけれど、思いこみは少ないと言ったらいいのでしょうか、常識を覆すような問題提起があっても、スッと入っていくのが分かるんです。そして、講義している側は、自分の問題提起が受けとめられたことが分かるので、もっと先に進もうとする。そういう点で、このふたつの本は似通っていると思いました。

 それでね、『13歳からのテロ問題』をつくったときは、途中から、「これは大人向けの本だよね」と思ったんです。だって、何十年も生きた大人は、「この道は戦争につながっている」「こっちは平和」って、すでに思考が固まっているじゃないですか。それを覆していかないと、現実に通用する戦争論、平和論にならないわけで、そういう人のための本になると思ったんです。

 それで、4種類の講義テーマごとに、「大人のための補習授業」を書いてもらうという工夫もしました。その狙いは悪くなかったといまでも思っていますが、それと『13歳からの……』ていうタイトルの間には、やはり溝があったと思います。誰に向けて売るかという迷いですね。でも、『13歳からの……』はシリーズだったので、これだけタイトルを変えるわけにもいきませんでした。

 伊勢崎さんの『本当の戦争の話をしよう』も、高校生相手に講義したこととか、表紙デザインとか、若い人向けのように見えますが、実は、これまで紹介してきたように、大人向けだと思います。そういう本だということをどうアピールしていくかが、この本の将来のためには大事でしょう。

 もうひとつ、昨日書いたことの関連なんですが、この本、改憲派であれ護憲派であれ、平和を願う人々の議論の土俵になると思うんです。だって、戦争になるかならないかという議論をしているのに、その戦争の現実を両派ともあまり知らないわけですから。

 伊勢崎さんの本にはどれもそういう性質がありますよね。だから、最初に『自衛隊の国際貢献は憲法9条で』を書いていただいたとき、帯はどうしようかと考えて、改憲派と護憲派の両方の国会議員から推薦をもらおうと思いました。共通の帯文として「9条論議に必要な紛争現場のことがわかる本だ」をご提示し、各党の議員さんにお願いしました。

 そうしたら、「そうだ、そうだ」ということで共感を得て、改憲派では自民、民主、公明、護憲派では共産、社民の方がOKということに。そういう種類の本ですから、今回の本も、憲法と安全保障を考える方にとって、立場を問わず、共通の土俵になると感じます。

 なお、帯の推薦は、結局、共産党の方から「書記局がダメと決定したので名前を出せなくなりました」と連絡があり、やむなく落とすことに。でもそうなると、「なぜ共産党だけ外れているのか」と疑問が噴出するだろうと思って、福島瑞穂さんにはお詫びを入れて、「護憲の本なのに「改憲」「加憲」の政党の方からも推薦」として、自民、民主、公明の方だけを入れました。

 さて、伊勢崎さん、現在、世界でいまもっともすごい戦争の渦中にあると言っていいコンゴに行っているんですけど、ご無事でしょうか。自衛隊を活かす会は追悼企画はやりませんからねと見送ったんですけど、世界平和にとってなくてはならない日本人ですからね。

2015年3月25日

 この本を読むことが、なぜ、護憲派を多数にするために必要なのか。それは、これからの憲法闘争で不可欠となることですが、改憲派と対話する姿勢を身につけるために必要になると思うからです。

 少なくない人が誤解していると思うのです。改憲派は戦争を望んでいて、力に訴えることを当然視している。逆に、護憲派は平和を望んでいて、力は不要だと考えている。そういう誤解です。

 まあ、伊勢崎さんが行く戦争の現場では、別に憲法のことが問題になるわけではありません。しかし、武力を行使するかどうか、行使するとしたらどんな武力かは、常に問われるわけです。

 でも、じゃあ、東チモールで武力行使基準の緩和を望んだ人(ニュージーランド兵や伊勢崎さん)は、戦争を望むような人だったでしょうか。仲間が惨殺されて、その首謀者を成敗するというやり方がどうだったかは異論があるでしょうが、東チモールの独立を助けたいし、インドネシアとの平和の確立を望んでいたと思います。伊勢崎さんなんかは、非武装国家をつくろうとしたわけだし。非武装は実現しませんでしたが、実際に東チモールは独立し、インドネシアとの関係も平和が維持されています。武力行使基準の緩和は、一時期、対立を激化させたけど、その対立は固定化しませんでした。

 逆に、この本では、伊勢崎さんにとってなじみの深いシエラレオネの話も、初期の頃からの事態が出てきます。武装集団が伸してきて、内戦がはじまろうとする局面。市議会議員もしていた伊勢崎さんは、丸腰の自警団をつくろうと提案したそうです。

 でも、最初の頃はよかったけど、だんだん「こいつは武装ゲリラの手先かもしれない」という不安から、自警団がつるしあげをしたりする。武装ゲリラって、襲う街を決めたら、まず偵察要員を送り込んでするそうで、見知らぬ人がいると疑われるらしい。不安が高じて、つるしあげがエスカレートしていき、あるとき、つるしあげの現場を伊勢崎さんを乗せた車が通りかかったそうですが、その運転手までつるしあげに加わって、古タイヤを背中にかぶせて石油をかけて火あぶりにしたそうです。

 いずれにせよ、その後、武装ゲリラが力を得て、多くの人は殺され(450万の人口で50万人)、運良く逃げた人は難民となり、伊勢崎さんの事務所はゲリラの事務所になったそうですけど。

 伊勢崎さん、火あぶりを招いた自警団のことをどう考えているかについて、以下のように言っています。「僕に罪悪感があるか。まったくないとは言えませんが、あの時、あの状況では、ああするしかなかった……。何よりそれは、「人のため」だった。それだけです」

 逆に、徹底した戦争で相手を殲滅し、いま「平和」になっている国もあります。スリランカですね。

 つまり、武力を行使する人も、丸腰で何とかやろうとする人も、別に戦争を望んでいるわけではありません。平和を望んでいるのです。

 日本の改憲派も同じです(ほとんどの人は)。平和を望んでいるが故に、中国の挑発には反撃しないとダメだと思っています。平和を望んでいるが故に、PKOなんかで自衛隊が活躍してほしいと願っています。

 なのに、改憲に賛成という人に対して、「おまえ、戦争を望んでいるだろう」という立場で接したりすると、ぜんぜんかみ合わないでしょう。「平和を望む気持ちは同じだよね」という心の一致点を確認しながら対話することが必要だと思います。そういうことが必要だということが、この本を読むと実感できます。

 そうです。戦争と平和って、矛盾だらけなんです。自分は平和を望んでいるが、あの人は戦争を望んでいるなんて、とっても言えないです。

 6月20日に大阪で自衛隊を活かす会の関西企画があって、その日の夜、伊勢崎賢治ジャズヒケシをやります。そのイベントのテーマ、私が勝手に決めましたけど、「『戦争』と『平和』は対義語か類義語か?」です。伊勢崎さんのイベントにふさわしいと自負しています。(続)